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左胸に捧ぐ

初出:2013/06/01
甘酸っぱくて、真っ白で、そんな君と僕。






あなたの足になりたいの、とユキは言った。
それは、ともすれば、「おなかが空いたからご飯を食べたいの」とでも言うような、ごく当然のことを言う口調だった。あたたかい午後の日差しを受けて、光り輝くような栗毛がさらりと揺れる。その色に彼女が髪を染めたとき、僕はあまり似合わないなあと思ったはずなのだけれど、今こうして改めて向かい合うとこれ以上ないくらいに似合っているようにも思えた。
人間の主観なんて、そんな風にひらひらと翻るものなのだ。
声が酷く遠いところから聞こえるような気がするのも、きっと、そんな曖昧な感覚というもののせいなのだろう。
ユキは丁寧にリンゴの皮を剥き、どうぞと手渡す。
何も言えないままで受け取って、そのまま口の中に入れたリンゴは良く冷えていて美味しかった。しゃくしゃくと咀嚼する音が、明るい日差しの中に吹き抜ける風の様に涼しげだ。
何か言わなくてはと思うのに、声は喉に張り付くばかりで言葉にはならない。きっと、病院という場所が悪いのだろう、と僕は考えた。真っ白なこの部屋の、特有の匂いが心の隙間の孤独や寂しさに、酷く染みるのだろう。
「……なぜ?」
長く迷った結果、口にできたのはこれだけだった。もっと何かマシな言葉があったろうとも思うのだが、この穏やかな空気にあまり多くの声を零したくはなかった。壊れるはずがないけれど、壊してしまうのが怖かったのだ。僕はそんなふうに、いつだって臆病だった。
「だって、あなたの足になれたら、あなたが立ち止まった時すぐに気づくでしょう。ずっと先まで歩いてしまってから、あなたが居ないことに気づいて慌てて引き返すのはもう嫌よ」
何も言わずに入院したことを根に持たれているようだ。一応色々と不幸が重なって連絡ができなかっただけで、僕も反省すべき点だと思ったので、反論はしないでおく。
「次は、あなたの声になりたいわ」
「それは、なぜ?」
「あなたが悲鳴を殺すから。私があなたの声なら、我慢なんかしないで飛び出てやるの」
去年の夏、崖から落ちて怪我をしたのを、ろくに手当もしないで動きまわったせいで悪化した時のことを言っているのだろう。あの時はあの時で、止むに止まれぬ事情があったのだと説明したことはあるが、ユキは納得してくれない。ともすれば知り合いが自殺するかもしれないなんて緊急事態で、怪我なんか構っていられなかったのだ。でもそれが結果としてユキの目の前で意識を失ってぶっ倒れるという状況に至ったことは、大いに反省する。
「そしたら次は、手になるの」
「手?」
「倒れた時には、誰かに向かって伸びるために」
これは冬のことだろう。風邪が悪化したせいで熱が高くて、でも絶対に落とせない授業があったので無理して大学に行った時だ。あの時もユキがみつけてくれたから結果として助かったけれど、誰も通りかからない校舎裏で一人で倒れていたらしい。全く、こうして考えて見るにユキには頭が上がらない。
「それでね、最後に、心臓に」
ユキは自分の分のリンゴを剥き終えて、果物ナイフをサイドテーブルに置いた。しゃく、と心地良い音を立てて林檎をかじる、赤い唇。リンゴ飴みたいだな、と思う。この光沢は、グロスというものらしい。明るい午後の日差しの下だと、いつもより一層鮮やかで甘そうに見える。
「……ごめんね」
僕はひとまず謝罪を口にして、その美しい絵画のような光景に目を細めた。ユキは、色鮮やかな女の子だ。目立つというわけでは決して無いのに、目を奪われる。
「どうして謝るの」
「たくさん心配をかけているから。ごめんね」
自業自得だと言われればそれまでだ。だけど僕は昔から、怪我や病気にやたらと縁がある。決して病弱ではないはずなのに、しょっちゅう入院や通院をしているものだから、一時期は学校の担任教師に何か辛いことがあるのか?なんて真顔で問いかけられたこともある。
実際には単に、不幸が重なってタイミングが絶望的に悪かっただけで、一つ一つの怪我は意図的ではない。たまたまボールが飛んできて、拾おうと屈んだところに猛スピードのバイクが突っ込んできたとか、たまたま自転車に乗っていて、交通量の多い道路に差し掛かった時にチェーンが外れたとか、たまたま具合が悪くて、保健室に行こうと歩いている時に階段から落ちたとか。
不幸体質だなんて言うのは抵抗があるが、タイミングが悪い男であることは認めなくてはならないだろう。
「あなたのそれは、今に始まったことじゃないからね。心配するのも慣れたよ」
ユキは笑う。穏やかに、笑う。
栗毛は柔らかく彼女の輪郭に花を添えて、ああ、やっぱり似合うなあと僕は考える。ユキは高校の時からの付き合いだから、もう五年以上一緒に居てくれる計算になるけれど、こうして病室にお見舞いに来てくれる回数は数えるのが嫌になるほど多い。だけど僕は、いつだって病室にユキの姿を見つけると、心の底から安堵することができた。
「心臓、か」
それになるというのは、僕の命を握られているということになるのだろうか。
彼女の意図するところはよくわからない。
「……心臓になれば、止まったりしないよ」
言い聞かせるように、ユキが言う。
穏やかな微笑みに、滲むようなその、感情。どこか心が苦しくて、小さく息を吐いた。
「いつかは、止まるんだよ」
「うん、でも私の知らない所で止まって欲しくない」
それに、と彼女は言う。
「心臓になったら、一緒に止まることができるからね」
囁く、声は秘密に浸されて、甘く。
いい加減、ユキと一緒にいる時に感じる、この途方に暮れるような落ち着かない感情に、名前をつけるべきなのだろうか。そんな風に僕は、瞠目する。


「私はね、あなたの居ない世界に興味は無いんだよ」


ああ、僕と同じだね。
そう言いたくて、言えなくて、言葉を飲み込む。僕はそんなふうに、いつだって臆病だった。
――だから、言葉はこぼせなくて、ただせり上がる涙をごまかすように僕は、ユキの頬に触れる。怖いよ、君を置いていく日が来るんじゃないかって。僕はいつだってそれが怖いし、ユキが置いて行かれることを怖がっていることを知っているよ。そうだね僕の心臓が君だったなら、同じ時を刻んで、同じ感情を抱いて、同じように死にゆくのなら、それはきっと幸せだったことだろう。けれども僕は僕で、ユキはユキで、それは覆せない事実なんだ。僕は今みたいに向き合うことも、素敵だと思うんだけど、君はどうだろう。
言いたいことは山ほど浮かんで、けれどもやっぱり、僕にはなんにも言えなかった。
ただそれらすべての言葉の代わりに、ユキの白い頬に唇を寄せる。


陽だまりの中で微笑む彼女は、リンゴの味がしてとても甘い。

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