暁を待つ庭/短編保管庫
別ブログにて書き散らした短編まとめ。
激しく気まぐれ更新。
眠る街
初出:2005/9/17
欠けた心を埋めた光景。記憶の中でこそ美しい。
欠けた心を埋めた光景。記憶の中でこそ美しい。
美しいと思った景色は唯一つ。
その年、俺は大学の研究員としてアイスエリアへ行っていたんだ。
こ の星が、もう何度も人類の危機を何とか乗り越えて、温暖化と氷河期を交互に向かえ、今に至っているかは知っているね?今は、この星が出来上がってから通 算・・・19度目の氷河期の後期だ。だから、アイスエリアと呼ばれる氷の世界と、ユージュアルという大地の世界が混在している。
さて、俺がそのと き向かったアイスエリアは、古代の昔ヨーロッパと呼ばれていた地域の中でも特に科学が発展していたといわれる地域だった。俺たちの大学研究員は、全部で五 人の小キャンプ。現地に住む案内人を何人か雇ったんだが、その男たちがまたえらく無口で無愛想で、こんなことで本当に研究なんかできるのかと、チームのみ んなは不安がっていた。
俺はそのとき、チーム最年少。
年齢で言えば16歳、若いだろう?
けれども、そうだな。かわいげのない子供 だったよ。愛想無し無駄口無しで協調性ゼロ。そんなかわいくない子供が、大人たちに混じって研究チームに入れられたんだから、そりゃあプライドが傷つかな いわけがないよな。だから俺はのけ者扱いだった。まあ、それもわかっていたんだけれどな。
当時俺の担当だった教授っていうのが、面倒見のいい人で ね。一度大人のチームに混ぜてやれば、子供が研究をするということがどれだけ大変なことか分かるだろうって、無理やり俺をチームにねじ込んでくれたわけ さ。研究の成果を期待されていたわけがない。要するに俺はそのときチームの一員といっても荷物もち程度の扱いで、自分でもそれをわきまえてた。
だから喧嘩になるようなことはなかったけれど、静かに無視され続けていた、って感じかな。
気にならなかったかって?
そ うだな・・・今じゃ考えられないだろうけど、俺は心底どうでもよかったんだよ。知識量だけは無駄にたくさんあったし、それを上手く生かせば、きっと一人で だってそれなりの成果を上げられたと思う。けどさ、俺には執着がなかった。大学にとどまって研究をしていたのは、教授に引き止められたからであって、別に 研究が好きだったからじゃない。どうでもよかったんだ。だから望まれたとおりに動いた。
つまりは、俺は人間としてとても大きな欠点を抱えていた。
俺 はその年になるまで恋愛もしたことがなかったし、家族を大事だと思ったこともなかった。知人が死んだって泣かなかったし、友人と呼べる存在なんか一人もい なかった。哀しいと思ったことも苦しいと思ったこともない。楽しいとも、美しいと感じたこともない。そういう欠陥人間だった。
そのときのアイスエリア行きは、教授なりの情操教育だったんじゃないかなと、今なら思う。
なぜならアイスエリアの壮大な美しさってやつは、鳥肌モノだ。
お前だって、写真くらい見たことあるだろう?
一面の銀世界。すべてが氷。
山のような氷、谷のような氷、木々のような氷・・・アイスエリアは、一歩間違えればとても危険なところだ。だけど、本当に神秘的で、感動的な場所だよ。
そうそう、そのときの研究課題をまだ教えてなかったな。
そのとき、俺たちのチームに与えられた課題は大きく二つだ。
一つは、アイスエリアのさまざまな箇所でのサンプル採集。および、その氷に含まれる成分の分析、成分表の作成。地域ごと、氷の成分に差異が出たならそれを地図にまとめよう、って話だな。
もう一つは、正直ミッションとは言えない。
教授の長年の夢は、アイスエリアに眠る古代文明の発見だった。だから、何らかの遺跡、もしくは遺品を発見して持ち帰る・・・もし万が一、見つけることが出来るなら、程度のお願いだった。
で、 チームは、この二つ目に関しては最初から探す気すらなかったんだ。アイスエリアで、決められた道以外を進むことっていうのは凄く危険なことだからな。かと いって、ルートのなかにそんな古代遺跡の痕跡なんか残っていたら、とっくに発見されている。事実上、そんなものを探すのは無理だったんだよな。
俺以外のチームの四人は、サンプル採集に夢中だった。一人づつに現地の案内人をつけて、あっちだこっちだって効率悪く単独行動して、他のやつらよりもよりよい地図を作ってやるっていう闘志が見えたね。
あとから聞いた話によれば、この研究の成果によって誰かは助教授に昇進できるところだったらしい。俺から言わせれば、どんぐりの背比べってところだったけど。
期限は一ヶ月間で、俺にはそんな昇進なんか関係なかったから、俺は主に荷物番として仮設の研究施設に閉じこもっていた。
欠 陥人間だった、っていっただろ?どんなに景色が素晴らしかろうと、俺にとってはどうでもいいことだったんだ。だから部屋で本を読んだり、たまに気晴らしに 散歩するくらいで、特に何もしなかった。ああ、書きかけの論文を仕上げてたかな。それだってすぐに終わってあとは途方もなく暇だったんだ。
だからかなあ。
俺にしては珍しく、人にかかわったのは、やっぱり暇だったからだと思うよ。
チームの連中の案内をしている案内人の一人に、息子がいた。いや、本当は全員子持ちだったんだろうとは思うけど、現地の人間は警戒心が強くて、屈強な男以外は滅多に人前に出てくることはないんだ。だけどその子は、人見知りをしない子で、しかも好奇心が旺盛だった。
あ るとき、一人で外の風に当たっていたら、その子供が近づいてきて、俺をじーっと見てたんだ。俺はそのとき16だったけど、その子はまだ10歳くらいに見え た。ぼさぼさに伸ばしっぱなしにした髪は濃いブラウンで、目は角度によっては緑っぽく見える黒だった。背丈は低くって・・・そう、当時の俺の胸くらいまで しかなかったかな。俺自身、そう背が高い方ではなかったけど。
現地の子供なんてはじめて見たけど、別にどうとも思わなかった。興味なかったんだ、正直。けど、勉強していた現地の言葉を実践で使ういい機会だった。だから話しかけてみることにしたんだ。
こんにちは、って一言いっただけで、その子はみるみる笑顔になった。
ただ一言で、無邪気に警戒を解いたんだ。
けれどそのあとのマシンガントークにはさすがについていけなくって、もうちょっとゆっくり、と何度言う羽目になったかまでは覚えてないな。
彼はとにかく、異邦人の友達が出来たことに、とっても喜んでいた。・・・ああ、俺は友達だなんてちっとも思ってなかったけどね。
彼 は少年らしい好奇心で、俺の住んでいる土地のことを聞かせろとせがんできた。だから、できるだけの情報を噛み砕いて教えてやった。地名、人口、街の構 造・・・テータ的なものだ。子供は数字の羅列にすぐ飽きて、なにか面白い遊びはないかと言い出した。だけど、俺は遊びなんか何一つ知らない面白くない子供 だったんだな、これが。
だから、知識として知っていた、古代の伝統的な遊びを思い出した。お前、アヤトリって知ってるよな?・・・オイオイ、お前の専攻は古代日本だろう?しっかりしてくれよ。
アヤトリって、紐さえあれば出来る独り遊びのことさ。俺は教授のライブラリで一度見ただけのそのアヤトリのやり方を必死で思い出して、実践してやった。そうしたらその子は喜んで、自分もやるといったから、その日から俺はその子のアヤトリの先生になってやった。
とんでもなく不器用な子だったな、今思えば。俺の教え方が悪かったのかもしれないけど。ともかくその子は、少しずつアヤトリを覚えていって、その間に俺と非常に仲良くなったつもりのようだった。
俺かい?
そうだな、嫌いではなかったよ。
ただ、本当に仲が良かったかと言われると、微妙なところだったように思う。俺はたいていの人間を拒絶しないけど、認めることもしなかったからなあ。今じゃ考えられないだろう?友達千人、の俺がだぜ?
まあ、とにかくそうして無事に日々が過ぎ、チームのほかのやつらも採集を追えて分析にかかりきりになり、約束の期日、一ヶ月目がやってきた。
俺以外のやつらは、帰ってすぐの発表会にむけててんやわんやで、俺はそんなやつらを覚めた目で見ながら、もうとっくに帰る準備を追えて暇をもてあましていた。
そんなときだ、例の子供が遊びに来た。
親から俺たちが帰ることを聞いたらしいんだな。真剣な目をして、もう帰っちゃうのか、このあとはいつ来るのかと尋ねてきた。
俺はほら、命令されなきゃもう絶対にアイスエリアになんかこないと思ったんだよな。確かにアイスエリアは美しいところだし、観光業が成り立つって言うのも分かるけど・・・ほかの人がするような感動を、俺は抱けなかったから。
だから、もう来ないかもしれない、とだけ伝えたんだ。
そうしたら彼は、じゃあ最後だから、取って置きの場所を教えてやろうと、俺を引っ張った。どうせ暇だったから、彼について行くのもいいだろうと思って、俺はあとを追ったんだ。
そ うだな、彼は無知だったかもしれないし、不器用だったかもしれない。でもとても運動神経は発達していたよ。俺が息を切らせて一生懸命追いかけてもあっとい う間においていかれそうになるくらいにね。そのたびに急いで戻ってきては、早く早くとせかさえれた。正直、あんなに大変な思いをして山みたいな氷の塊と か、影みたいな断崖を上ったことなんて、あのときくらいだろう。とにかく、彼の言う取って置きの場所っていうのは、とんでもなく奥地にあった。
ここは、誰にも内緒なんだと彼は言った。
研究者たちにも、観光客にも、両親にすら教えていない取って置きの場所なのだと。
多少、興味がわいたね。というよりも意地になっていたのかもしれない。こんなに大変な思いをして歩いているのだから、何が何でもそれをみてやろうという気になっていた。
負けず嫌いなんだ、わかるだろ?
そ んな大変な思いをしてたどり着いたのは、一面をとても純度の高い氷で覆われた、氷の湖のような場所だった。スケートリンクみたいに、綺麗な氷が張っていた よ。少年はその氷の上に立って、この氷は絶対に割れないからこっちへ来い、と手招きした。俺も意地になっていたからな。すぐに氷の上に立って、派手に転ん だのはいい思い出だ。
そう。
転んだんだ。
顔面を氷にぶつけるみたいに転んで、動けなくなった。
綺麗な氷の下には、天使が眠っていた。
いや、天使って言うのは本当に、気障な例えだよ。そこにいたのは少女だった。今時流行らないような金属製の椅子に寝そべるように座らされていて、胴体と両手両足を固定されていた。
白い肌を強調するような、黒いワンピースを着ていて、その袖なしのワンピースから伸びる繊細そうな手足には、何本ものコードがつながっている。点滴とか、電子医療器具の類だろうと思う。
少女は、安らかに目を閉じていて、今にも目を覚ましそうだった。どれだけ長い間そこにいたのだろうか、金に近い淡い栗色の髪が、古代の御伽噺に出てくるお姫様・・・ラプンツェルみたいに、途方もなく長かった。
とても、綺麗な少女だった。
思わず手を伸ばして、この手に抱き留めたいと思うほどに。
凄い光景だったんだよ、あの氷の下は。少年が凄いだろうと得意そうに胸をそらすのに、放心してうなずくことしか出来ないくらいにね。氷の下には、街が眠っていたんだ。
少女だけじゃない。
建物や、車や、植物・・・人間も、動物も、まるで日常の一こまを切り取ったかのように、そこに存在していた。氷の湖の底に・・・あの時は放心していて詳しく目算できなかったけれど、百メートルよりも下で二百メートルまでは行かないくらいの深さだったと思う。
美しく、とても哀しい光景だった。
確かに、何百年か、何千年か昔に生きていた人たちの、冷たい標本のような街。
俺は、最初に目に飛び込んだ天使のような少女からいつまでも目がそらせなくて、四つんばいみたいな姿勢になりながら、長らく静止していた。
案内してくれた少年は、俺が気に入ったといって嬉しそうだった。
実際は気に入ったなんて軽いものじゃなかったけれど。
わかるだろう?古代遺跡の標本なんて、歴史的発見なんだ。もしもそのとき俺がそのことを公表していたら、あの聖域のような場所は人の手によって破壊されてしまう。何よりも・・・。
少女に検査のメスが入ることが、嫌でたまらなかったんだ。
思えば、あれが初恋だったんだよなあ、欠陥人間だった俺にとっては。氷の中で眠り続ける天使のような少女。今でだって鮮明に思い出せるんだ。16年間生きてきた中で、一番美しいものを見たと思った。
そして、今でも、あの少女のいた景色が、人生で最も美しかったと思う。
少年が、綺麗だろう、と俺に聞いた。
そのときに初めて俺は、心から答えることが出来たよ。
綺麗だ。
心ごと連れ去ってしまわれそうなくらいに。
とても、綺麗だと。
今でもあの光景を思い出すと、涙が出そうになっちまうよ。アイスエリアを離れるとき、正直言うとちょっと泣いたんだ。
だってさ。
あの日俺は、初恋と失恋を同時に経験したんだぜ?涙の一つや二つ、流れて当然じゃないか。あの日から、俺の心の中の一番優しい場所には、あの景色があるんだ。
あの少女が、俺の魂に眠り続けているんだよ。
・・・お前がアイスエリアに行くって聞いたときに、真っ先に思い出したのもあの少女だった。
今でもあの場所が手付かずなのか、あの少年だけの秘密の場所であり続けているのかその辺は知らない。あれ以来俺はアイスエリアには足を踏み入れてないから。
でも、願わくば・・・。
あのまま、永久にと、思う。
世界一美しいままで。
その年、俺は大学の研究員としてアイスエリアへ行っていたんだ。
こ の星が、もう何度も人類の危機を何とか乗り越えて、温暖化と氷河期を交互に向かえ、今に至っているかは知っているね?今は、この星が出来上がってから通 算・・・19度目の氷河期の後期だ。だから、アイスエリアと呼ばれる氷の世界と、ユージュアルという大地の世界が混在している。
さて、俺がそのと き向かったアイスエリアは、古代の昔ヨーロッパと呼ばれていた地域の中でも特に科学が発展していたといわれる地域だった。俺たちの大学研究員は、全部で五 人の小キャンプ。現地に住む案内人を何人か雇ったんだが、その男たちがまたえらく無口で無愛想で、こんなことで本当に研究なんかできるのかと、チームのみ んなは不安がっていた。
俺はそのとき、チーム最年少。
年齢で言えば16歳、若いだろう?
けれども、そうだな。かわいげのない子供 だったよ。愛想無し無駄口無しで協調性ゼロ。そんなかわいくない子供が、大人たちに混じって研究チームに入れられたんだから、そりゃあプライドが傷つかな いわけがないよな。だから俺はのけ者扱いだった。まあ、それもわかっていたんだけれどな。
当時俺の担当だった教授っていうのが、面倒見のいい人で ね。一度大人のチームに混ぜてやれば、子供が研究をするということがどれだけ大変なことか分かるだろうって、無理やり俺をチームにねじ込んでくれたわけ さ。研究の成果を期待されていたわけがない。要するに俺はそのときチームの一員といっても荷物もち程度の扱いで、自分でもそれをわきまえてた。
だから喧嘩になるようなことはなかったけれど、静かに無視され続けていた、って感じかな。
気にならなかったかって?
そ うだな・・・今じゃ考えられないだろうけど、俺は心底どうでもよかったんだよ。知識量だけは無駄にたくさんあったし、それを上手く生かせば、きっと一人で だってそれなりの成果を上げられたと思う。けどさ、俺には執着がなかった。大学にとどまって研究をしていたのは、教授に引き止められたからであって、別に 研究が好きだったからじゃない。どうでもよかったんだ。だから望まれたとおりに動いた。
つまりは、俺は人間としてとても大きな欠点を抱えていた。
俺 はその年になるまで恋愛もしたことがなかったし、家族を大事だと思ったこともなかった。知人が死んだって泣かなかったし、友人と呼べる存在なんか一人もい なかった。哀しいと思ったことも苦しいと思ったこともない。楽しいとも、美しいと感じたこともない。そういう欠陥人間だった。
そのときのアイスエリア行きは、教授なりの情操教育だったんじゃないかなと、今なら思う。
なぜならアイスエリアの壮大な美しさってやつは、鳥肌モノだ。
お前だって、写真くらい見たことあるだろう?
一面の銀世界。すべてが氷。
山のような氷、谷のような氷、木々のような氷・・・アイスエリアは、一歩間違えればとても危険なところだ。だけど、本当に神秘的で、感動的な場所だよ。
そうそう、そのときの研究課題をまだ教えてなかったな。
そのとき、俺たちのチームに与えられた課題は大きく二つだ。
一つは、アイスエリアのさまざまな箇所でのサンプル採集。および、その氷に含まれる成分の分析、成分表の作成。地域ごと、氷の成分に差異が出たならそれを地図にまとめよう、って話だな。
もう一つは、正直ミッションとは言えない。
教授の長年の夢は、アイスエリアに眠る古代文明の発見だった。だから、何らかの遺跡、もしくは遺品を発見して持ち帰る・・・もし万が一、見つけることが出来るなら、程度のお願いだった。
で、 チームは、この二つ目に関しては最初から探す気すらなかったんだ。アイスエリアで、決められた道以外を進むことっていうのは凄く危険なことだからな。かと いって、ルートのなかにそんな古代遺跡の痕跡なんか残っていたら、とっくに発見されている。事実上、そんなものを探すのは無理だったんだよな。
俺以外のチームの四人は、サンプル採集に夢中だった。一人づつに現地の案内人をつけて、あっちだこっちだって効率悪く単独行動して、他のやつらよりもよりよい地図を作ってやるっていう闘志が見えたね。
あとから聞いた話によれば、この研究の成果によって誰かは助教授に昇進できるところだったらしい。俺から言わせれば、どんぐりの背比べってところだったけど。
期限は一ヶ月間で、俺にはそんな昇進なんか関係なかったから、俺は主に荷物番として仮設の研究施設に閉じこもっていた。
欠 陥人間だった、っていっただろ?どんなに景色が素晴らしかろうと、俺にとってはどうでもいいことだったんだ。だから部屋で本を読んだり、たまに気晴らしに 散歩するくらいで、特に何もしなかった。ああ、書きかけの論文を仕上げてたかな。それだってすぐに終わってあとは途方もなく暇だったんだ。
だからかなあ。
俺にしては珍しく、人にかかわったのは、やっぱり暇だったからだと思うよ。
チームの連中の案内をしている案内人の一人に、息子がいた。いや、本当は全員子持ちだったんだろうとは思うけど、現地の人間は警戒心が強くて、屈強な男以外は滅多に人前に出てくることはないんだ。だけどその子は、人見知りをしない子で、しかも好奇心が旺盛だった。
あ るとき、一人で外の風に当たっていたら、その子供が近づいてきて、俺をじーっと見てたんだ。俺はそのとき16だったけど、その子はまだ10歳くらいに見え た。ぼさぼさに伸ばしっぱなしにした髪は濃いブラウンで、目は角度によっては緑っぽく見える黒だった。背丈は低くって・・・そう、当時の俺の胸くらいまで しかなかったかな。俺自身、そう背が高い方ではなかったけど。
現地の子供なんてはじめて見たけど、別にどうとも思わなかった。興味なかったんだ、正直。けど、勉強していた現地の言葉を実践で使ういい機会だった。だから話しかけてみることにしたんだ。
こんにちは、って一言いっただけで、その子はみるみる笑顔になった。
ただ一言で、無邪気に警戒を解いたんだ。
けれどそのあとのマシンガントークにはさすがについていけなくって、もうちょっとゆっくり、と何度言う羽目になったかまでは覚えてないな。
彼はとにかく、異邦人の友達が出来たことに、とっても喜んでいた。・・・ああ、俺は友達だなんてちっとも思ってなかったけどね。
彼 は少年らしい好奇心で、俺の住んでいる土地のことを聞かせろとせがんできた。だから、できるだけの情報を噛み砕いて教えてやった。地名、人口、街の構 造・・・テータ的なものだ。子供は数字の羅列にすぐ飽きて、なにか面白い遊びはないかと言い出した。だけど、俺は遊びなんか何一つ知らない面白くない子供 だったんだな、これが。
だから、知識として知っていた、古代の伝統的な遊びを思い出した。お前、アヤトリって知ってるよな?・・・オイオイ、お前の専攻は古代日本だろう?しっかりしてくれよ。
アヤトリって、紐さえあれば出来る独り遊びのことさ。俺は教授のライブラリで一度見ただけのそのアヤトリのやり方を必死で思い出して、実践してやった。そうしたらその子は喜んで、自分もやるといったから、その日から俺はその子のアヤトリの先生になってやった。
とんでもなく不器用な子だったな、今思えば。俺の教え方が悪かったのかもしれないけど。ともかくその子は、少しずつアヤトリを覚えていって、その間に俺と非常に仲良くなったつもりのようだった。
俺かい?
そうだな、嫌いではなかったよ。
ただ、本当に仲が良かったかと言われると、微妙なところだったように思う。俺はたいていの人間を拒絶しないけど、認めることもしなかったからなあ。今じゃ考えられないだろう?友達千人、の俺がだぜ?
まあ、とにかくそうして無事に日々が過ぎ、チームのほかのやつらも採集を追えて分析にかかりきりになり、約束の期日、一ヶ月目がやってきた。
俺以外のやつらは、帰ってすぐの発表会にむけててんやわんやで、俺はそんなやつらを覚めた目で見ながら、もうとっくに帰る準備を追えて暇をもてあましていた。
そんなときだ、例の子供が遊びに来た。
親から俺たちが帰ることを聞いたらしいんだな。真剣な目をして、もう帰っちゃうのか、このあとはいつ来るのかと尋ねてきた。
俺はほら、命令されなきゃもう絶対にアイスエリアになんかこないと思ったんだよな。確かにアイスエリアは美しいところだし、観光業が成り立つって言うのも分かるけど・・・ほかの人がするような感動を、俺は抱けなかったから。
だから、もう来ないかもしれない、とだけ伝えたんだ。
そうしたら彼は、じゃあ最後だから、取って置きの場所を教えてやろうと、俺を引っ張った。どうせ暇だったから、彼について行くのもいいだろうと思って、俺はあとを追ったんだ。
そ うだな、彼は無知だったかもしれないし、不器用だったかもしれない。でもとても運動神経は発達していたよ。俺が息を切らせて一生懸命追いかけてもあっとい う間においていかれそうになるくらいにね。そのたびに急いで戻ってきては、早く早くとせかさえれた。正直、あんなに大変な思いをして山みたいな氷の塊と か、影みたいな断崖を上ったことなんて、あのときくらいだろう。とにかく、彼の言う取って置きの場所っていうのは、とんでもなく奥地にあった。
ここは、誰にも内緒なんだと彼は言った。
研究者たちにも、観光客にも、両親にすら教えていない取って置きの場所なのだと。
多少、興味がわいたね。というよりも意地になっていたのかもしれない。こんなに大変な思いをして歩いているのだから、何が何でもそれをみてやろうという気になっていた。
負けず嫌いなんだ、わかるだろ?
そ んな大変な思いをしてたどり着いたのは、一面をとても純度の高い氷で覆われた、氷の湖のような場所だった。スケートリンクみたいに、綺麗な氷が張っていた よ。少年はその氷の上に立って、この氷は絶対に割れないからこっちへ来い、と手招きした。俺も意地になっていたからな。すぐに氷の上に立って、派手に転ん だのはいい思い出だ。
そう。
転んだんだ。
顔面を氷にぶつけるみたいに転んで、動けなくなった。
綺麗な氷の下には、天使が眠っていた。
いや、天使って言うのは本当に、気障な例えだよ。そこにいたのは少女だった。今時流行らないような金属製の椅子に寝そべるように座らされていて、胴体と両手両足を固定されていた。
白い肌を強調するような、黒いワンピースを着ていて、その袖なしのワンピースから伸びる繊細そうな手足には、何本ものコードがつながっている。点滴とか、電子医療器具の類だろうと思う。
少女は、安らかに目を閉じていて、今にも目を覚ましそうだった。どれだけ長い間そこにいたのだろうか、金に近い淡い栗色の髪が、古代の御伽噺に出てくるお姫様・・・ラプンツェルみたいに、途方もなく長かった。
とても、綺麗な少女だった。
思わず手を伸ばして、この手に抱き留めたいと思うほどに。
凄い光景だったんだよ、あの氷の下は。少年が凄いだろうと得意そうに胸をそらすのに、放心してうなずくことしか出来ないくらいにね。氷の下には、街が眠っていたんだ。
少女だけじゃない。
建物や、車や、植物・・・人間も、動物も、まるで日常の一こまを切り取ったかのように、そこに存在していた。氷の湖の底に・・・あの時は放心していて詳しく目算できなかったけれど、百メートルよりも下で二百メートルまでは行かないくらいの深さだったと思う。
美しく、とても哀しい光景だった。
確かに、何百年か、何千年か昔に生きていた人たちの、冷たい標本のような街。
俺は、最初に目に飛び込んだ天使のような少女からいつまでも目がそらせなくて、四つんばいみたいな姿勢になりながら、長らく静止していた。
案内してくれた少年は、俺が気に入ったといって嬉しそうだった。
実際は気に入ったなんて軽いものじゃなかったけれど。
わかるだろう?古代遺跡の標本なんて、歴史的発見なんだ。もしもそのとき俺がそのことを公表していたら、あの聖域のような場所は人の手によって破壊されてしまう。何よりも・・・。
少女に検査のメスが入ることが、嫌でたまらなかったんだ。
思えば、あれが初恋だったんだよなあ、欠陥人間だった俺にとっては。氷の中で眠り続ける天使のような少女。今でだって鮮明に思い出せるんだ。16年間生きてきた中で、一番美しいものを見たと思った。
そして、今でも、あの少女のいた景色が、人生で最も美しかったと思う。
少年が、綺麗だろう、と俺に聞いた。
そのときに初めて俺は、心から答えることが出来たよ。
綺麗だ。
心ごと連れ去ってしまわれそうなくらいに。
とても、綺麗だと。
今でもあの光景を思い出すと、涙が出そうになっちまうよ。アイスエリアを離れるとき、正直言うとちょっと泣いたんだ。
だってさ。
あの日俺は、初恋と失恋を同時に経験したんだぜ?涙の一つや二つ、流れて当然じゃないか。あの日から、俺の心の中の一番優しい場所には、あの景色があるんだ。
あの少女が、俺の魂に眠り続けているんだよ。
・・・お前がアイスエリアに行くって聞いたときに、真っ先に思い出したのもあの少女だった。
今でもあの場所が手付かずなのか、あの少年だけの秘密の場所であり続けているのかその辺は知らない。あれ以来俺はアイスエリアには足を踏み入れてないから。
でも、願わくば・・・。
あのまま、永久にと、思う。
世界一美しいままで。
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