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月は泣いているか

初出:2013/03/08
先を見る人。




降り注いだ雨は生ぬるく皮膚を撫で、体温を奪いながらやがて表面を滑り落ちる。ぽたぽたと傘をたたく音はどこか懐かしく、世界は幻想的に揺らめいて見えた。


「風邪をひくからやめなさい」


ゆっくりと、噛んで含めるように言う友人に、僕は返事を不精して小さく息を吐くにとどめた。確かに、傘から片腕を突きだして雨に濡らしている僕の姿は、傍から見れば随分と滑稽だろう。
腕を傘の中に引っ込めて、そろりと後ろをうかがう。いつの間にそこにいたのだろうか、涼しげな目をした友人は、僕のように肩を濡らすこともなく上手に傘を傾けていた。
「月」
彼を呼ぶとき、僕はその呼び名を使う。彼の本名には一文字もかすっていないのだが、何故そう呼ぶかと言えば本人がそう名乗るからだ。月は、初対面の人間に本名を知られることを好まず、たいてい「月」という偽名を名乗る。僕はもう彼の友人として過ごして長いが、それでも呼び分けることが面倒に思えて、いつも「月」で通していた。
「雨の日の散歩と言えば、濡れるのが醍醐味ではありませんか」
言い訳じみた言葉を月に発してみたが、彼はすっと目を細めて、何か微笑ましいものでも見るように僕を見返したので、少々いたたまれない。まるで悪戯を見つかった子供のようだな、と自分でも思う。
「散歩というには、玄関先じゃないか。煮詰まっているのかい?」
父親のようなおおらかさで問いかけられて、思わず憎まれ口を返す。
「……わかりきったことを尋ねられるのは好きではありませんね」
すると彼はますます優しく微笑むので、さらに自分の対応が幼く感じられて、情けなった。
「では断言しよう。煮詰まったのだな」
「はい」
「相変わらず、奇行をするねえ君は」
月は僕を見て、大人びた苦笑をこぼす。物書きの端くれとして過ごす僕は、よく煮詰まって他人にはよくわからない行動をするらしい。しょっちゅう、月にはたしなめられる。
同年代の友人は数多いが、どうもこの月だけは、若くて情熱にあふれる僕たちの中で一人、重石代わりにどっしりと落ち着いている感がある。まとめ役をやらせると実に頼りになる男だが、多趣味な彼は何をやらせてもなんでも器用にこなしてしまうので、あっちこっちひっぱりだこだ。
今日だって、三日ほどまえにあわただしく現れた月が、「どうしても話があるので空けてくれ」というので必死で調整してようやく会えたようなものだ。その時も彼は予定が詰まっていて、会話は十分程度しかできなかった。なんでもかんでも引き受けるのは月の悪い癖だと思わないでもないが、それらをきちんとこなせてしまう計画性には、いつもながら舌を巻く。
「君はどうせ久々のお休みなのでしょう、雨で残念でしたね。どうぞおあがりください。僕も冷えたのであたたかいお茶をいれましょう」
「君の逃避行動はもういいのかい」
「ええ、もとよりあなたが来る時間を見越して呆けていたんです。止めていただこうと思って。そうでないと僕はいつまででもこうやってぼんやりしてしまいますから」
さあどうぞ、と月を促し、僕は玄関に先に入って傘を閉じた。雨の日特有の匂いがしっとりと五感を撫でる。この雰囲気は嫌いではない。
「邪魔するよ」
よく耳に響く声が、柔らかく告げて僕に習う。すらりとした体躯の月が、静かに傘を閉じる様子は、酷く絵になる所作だった。まったくもって、この男はため息が出るほど美しい。目鼻立ちばかりの話ではなく、立ち振る舞いに品と風格がある。さながらどこぞの華族のようだ。
僕はいつか、彼を主人公にして物語など綴ってみたいと思っているのだが、身の回りの人間を題材にするのはなかなか難しく、いつまでもその名案を温め続けている。
「どうぞ」
一声かけて居間へ通すと、彼は慣れた様子で敷かれた座布団の上に収まった。薬缶を火にかけ、お湯が沸くまでの間に僕もその向かいに座る。
きちんと背筋を伸ばして正座している月が、ゆったりと木目の飯台に手を置く。白くしなやかなその指は、こんな貧乏で粗末な家には実に似つかわしくないなと、つくづく思える。
「それで、君は何に煮詰まっているんだい」
楽しそうに問いかける声には、ようやく年相応の好奇心が宿ったようだ。まったく他人事だと思って、と心の中で悪態をついたが、僕は息を吐くにとどめた。どうせ月相手には、隠し事などできやしないのだ。
「そのことはあとでお話ししましょう。まずはあなたの要件ですよ、月」
「ああ、そうだったね。急に悪かった」
「いいえ。あなたとゆっくり会話をしようと思ったら、多少強引に時間を取らなければ。あなたは人気者ですからね」
「そんなことはないよ」
苦労性なだけだ、あいにくと。そう言って月は静かに微笑む。
「まあ、そうだね。今回もあまり時間がない。日が暮れるまでには帰らなくてはならないので、先にはっきりとさせておこうか」
「おや、なんでしょう改まって」
「なに、君には少し、酷なことかもしれないのだが」
珍しく少し言葉に詰まった月は、じっくりと僕を見据えて目を細めた。小さく、ほほ笑みが口元に浮かぶ。だけどその笑顔は、少し不自然な笑顔だった。何を言おうとしているのか、僕は探るように月を見返すのだけれど、改めて彼が僕に伝えるようなことがあるのだろうか。どうにも思い当たらなくて、首をかしげる他無い。
「一体、」
何を、と尋ねようとした声を遮って、月は告げた。



「別れを告げに来た。もうすぐ死ぬよ」



それは、あまりになんでもないように告げられたものだから、僕は何を言われたのかすぐには納得できなかった。声は穏やかに凪いでいて、どこにも彼の気持ちがこもっていない。ただ淡々と事実を述べるだけ、というようなその声に、僕がようやくひねり出せたのは、間の抜けた音だけだった。
「……え?」
ただ、月の言葉が冗談とも思えなくて、笑うこともできない。ためらう僕に、分かっているとでも言うように頷いて、月は息を吐いた。
「すまないね、急に言われても困るだろう。でも、君のことは親しい友人と思っているからね。別れを告げなかったら後悔すると思って」
「ちょっと、待ってください。どういうことです、具合でも悪いのですか」
「いや、特に病気というわけではない」
「では、どうして」
「うん」
矢継ぎ早の僕の質問に、月は穏やかなままで頷く。それから言葉を探すように沈黙し、困ったように微笑んだ。少し皺の寄った眉間さえも、美しい月の表情を彩る。ああ、全くどのような顔をしてもこの男は絵になるなと、そんなぼんやりとした思考は確実に現実逃避だ。
病でないなら、もうすぐ死ぬとは一体どういうことだ。
「月、」
説明してくれないかと、かすれた声で名前を呼ぶ。その声にようやく、月は続きを口にした。
「信じてもらえるかわからないが、僕は、昔からよく予知夢を見たんだ」
「予知、夢?」
それは小説の題材か何かか、と僕は瞬きをした。物書きの自分に取って、そういった非現実的な単語は、本の中のものであるとしか思えない。だが、月がそんな突拍子もないことを冗談で口にする人間では無いことを、僕はよく知っている。
「未来が分かる、と言えばいいのか。まあそんなに先のことは分からないが、自分のことなら大体ね。先のことがなんでもわかったので、僕は何でもできた。君も、覚えがあるだろう」
「それは……」
そういえば数年前に、僕に小説を書いてみたらどうだと薦めたのは、ほかならぬ月であった。それまでの僕は詩歌などを詠むことはあるが、まとまった文章を書いてみたことはなかったのだが、月がそう言ったので興味を持った。それから僕はどんどん小説にのめり込み、今ではそれを生業としている。
月は、たしかになんでもできる男だった。知識も豊富で、何か新しいことを初めてもすぐに上達するので、一体あなたにできないことはないのですか、と尋ねたこともある。そうすると彼は曖昧に笑って、前に調べたことがあるんだ、と言った。
自分の先を知っていたから、それについて調べていたと言うのだろうか。それが結果的に彼を、なんでもできる完璧な人間としてしまったのだろうか。
「……信じがたくはありますが、あなたが冗談を言うような男では無いことを、僕は知っています」
言葉に詰まりながら僕がそう言うと、月は安心したように息を吐いた。そうかい、と零した声は、柔らかくていつもと何のかわりもない。
「しかし、急になぜ、そんな……」
「さあ、原因はわからないんだ。僕が見えたのは、自分の葬式の映像だけだから」
「それは、何十年も先の話では無いのですか」
「君も居た。今と変らない姿だったよ、きっと近いうちだろう」
穏やかに穏やかに、月は言う。
なぜそんなふうに悟ってしまえるのか、僕にはよくわからない。彼のような若い男が死ぬなんて、信じたくもないではないか。月は、死にたくないと思わないのだろうか。あがこうとは思わないのだろうか。抗おうとは、思わないのだろうか。僕は情けないことに言葉に詰まり、物書きの端くれにも置けない自分を恥じた。どうすれば彼を説得できるのかわからない。僕はいつも、彼に説得されることはあっても、彼を説得したことはなかった。
「月」
困り果てて呼んだ名前に、月は分かっているよと微笑んだ。
「抗ったさ。何度も何度でも、今までの人生の大半を抗うために使ってきた。でもだめだったんだ」
「……どうしても?」
「どうしてもだ。だからきっと、今回もだめだろう。最後まで諦めないつもりではいるが、一応君は喪服を用意していて貰いたい」
ただ、君に別れを言えないのは嫌だったんだ。嫌だったんだよ。
月は微笑む。静かなその笑顔は、普段と少しも変わらない。その顔を見ると本当に今までずっと抗って生きてきたのだろうなと、僕にもわかった。分かってしまう未来に抗い、必死で戦って、それでもその未来に押し流されてきたのだろう。今だってこんな、覚悟を決めたような顔をして僕に別れを告げながら、ずっと抗っているのだ。
未来に。
いつでも抗っているのだ。
「月、僕は」
知らなかった。知らせてくれたら良かったのに。僕だって彼に別れを言えないのは嫌だけど、いつ来るかも分からない最後の日を粛々と待つのも嫌だ。
「僕は、何かできないのですか」
もしも彼が手を伸ばしてくれるなら、僕にだってその手を引っ張り上げることができるかもしれない。月は今まで一人で抗ってきたのだろうか。僕が一緒に抗うことはできないのだろうか。しかしそんな僕の心など、お見通しだというように月は、ゆっくりと息を吐いた。
「……君が煮詰まっているのは、季刊誌の原稿だろう?」
「なぜそれを、」
「君は、その原稿で賞をとる。物書きとしての、君の成功を心から嬉しく思うよ」
だから、いいんだよ。君は君のことで忙しくなるからね。
月は笑う。いつものように、ただあるがままにそこで。山のようにどっしりと構えて、大丈夫だよと安心させるように。
「良いはずがありますか!君は、僕にとっても大切な友達です、どうして諦められましょう」
「ありがとう。けれどその言葉だけで充分だよ」
「充分ではありません」
「大丈夫だ」
「っ、大丈夫では、ないでしょう……!」
「うん」
分かっているよ、と月は笑う。静かに、穏やかに。凪の海のように、ただ笑う。


「命をかけて、抗うつもりだ」


僕は、何も言えないままに唇を噛み、零れ落ちそうな涙をぐっと堪える。月の美しい瞳が光を失うことのないよう、切に祈る。命をかけて命に抗うだなんて。
ただ月の、静かな情熱を信じようと、震える手を握りしめた。

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お久しぶりです~。

夏野さんこんにちは。
随分ご無沙汰しておりました…。
誰かの気持ちを代弁している様なお話しでしたね…。

偶然にも今の私にぴったりと当てはまるお話でしたよ…。
形は違いますが、命を賭して死に抗う。

嘘じゃぁないですよ(笑)
このコメで不快な思いをさせてしまったらごめんなさい。
  • 2014/07/05(Sat)10:23:34
  • 編集

お返事遅くなってすみません!

コメント頂いたらメールが来るように設定しておいたのですが、うまく作動してなかったようです、気付かず申し訳ありませんでした。

お久しぶりです、こちらこそずいぶんご無沙汰しておりました。
いえいえ、不快な思いなどはしておりませんので大丈夫です。こちらの話は、ちょっと祖父の話からインスピレーションを受けて書いてみたものですので、ひょっとして代弁しているというのならば私の祖父のことかもしれません。
抗えないものもあって、抗うものもあって、抗いきれないものもあって、抗ってみせたものもあって……、生きていくうちにそういうものが積み重なって、今の自分を形成していくのかな、と。
そんな風に、思います。
  • 夏野
  • 2014/09/29(Mon)17:52:24
  • 編集

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