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水底ノスタルジア

初出:2013/01/16
なんかすごくお気に入り。




このガラスの向こうは天国なのか地獄なのか。
いつも、それを自問自答する。



薄暗い水族館の照明は、空気を一段涼しくするように思う。そう思うのは、色彩のせいなのかもしれないが。それに加えて平日の昼間ということもあって、声を出すことさえ憚られるくらいに静かだ。
降ってわいたような有給の使い道としては間違っていなかったな、と思うものの。昨日までのオーバーワークの後遺症は気だるく体にまとわりついている。どうしても眠れなくて外に出たとき、水族館に行こうと思い至った理由は、いまだによくわからない。その水の園には、高校生の時に学校行事で足を踏み入れて以来、実に何年ぶりの来訪であろうか。考えることさえも億劫で、それでも衝動は強く心を揺さぶり、入場チケットを握る指先が震えた。
歩き出す自分の、足音さえも聞こえないようで。
青暗い水底のような空気の中を、誰もが忍び足で行き交う。気だるい体とは反比例するかのように、冴えてゆく頭が情報を求めた。電化製品の取り扱い説明書も、美術館に掲げられた解説や作者の生い立ちも、文庫本の帯の言葉でさえ頭に入れないと気が済まないタイプなので、空いているのが何よりもありがたい。
一つ一つの水槽に付随する説明文を、根気強く読み、写真で解説されている生物を水槽の中に探す。あれがああで、これがこうで。説明文でわかる限りの海洋世界を、頭の中にイメージする。
一つ一つの水槽を、ばらして、組み立て、位置を調整して世界にする。それは全く持って無意味のようで、けれども確かに心に何かを残す作業だ。サンゴ、海藻、魚の配置。捕食者と被捕食者の位置関係。縄張りと生息地帯、逃げ込む先、待ち受ける危険。それらをバランスよく、頭の中に設置していく。
ゆっくりと、ゆっくりと歩きながら、新しいものをくわえて微調整。現実世界の些細な軋轢や不安も、皆ゆるやかに波にのまれて水底に沈んでいく。ゆらゆらと漂う一粒の砂になって、水にさらわれ舞い上がっては落ちて、転がってゆくちっぽけな人生が、そこに生まれる。
ぐるぐると水流に飲み込まれながら、目を開ければ薄暗い青が広がり、そうしてやっぱり僕は、ただ、歩くことしかできないのだけれど。
休憩スペースを兼ねた大水槽の前にたどり着く。きれいな円を描くその部屋の、中央に設置された椅子に座って、ぐるぐると周囲を周回していく魚の群れをぼんやりと眺めた。
さて、これはどこに設置すればいいだろうか。今まで構築した世界では狭すぎる。ではもう少し広げて、スペースを開けて、再び微調整。拡大を続ける脳内の海洋世界が、少しずつ少しずつ軋んで音を立てる。
ふと、ガラスの向こうの魚たちについて、ぼこぼこと気泡のような疑問がわいてきた。いやもしかしてそれは、僕がこの空間に足を踏み入れたその時から、頭の奥底から湧いていた考えなのかもしれないのだけれど。



はたして、これらは本物の海を知っているのだろうか。
そんなことを僕は考える。



僕は海の底の世界を知らない。それでも、頭の中にそれを構築していくことはできる。それはきっと歪で不完全な世界だろうけれど、自分自身がこうと信じる限りでは、きちんと世界として機能している。いわゆる一つの、空想世界としては「在る」のだ。
では、その「在る」世界は、本物である必要があるだろうか。僕にはいつもそれがわからない。
ガラスの向こうにある「作り物の海」が、そこに存在する生物にとっては本物でもいい。そう言うと僕の姉などは「お前は不思議の世界に生きているから、それでもいいかもしれないけどね」ときっと笑うのだろうな。空想癖のある僕の話を飽きず聞いてくれるのに、姉は最後にかならず困ったように笑う。僕にはその苦笑の意味がやっぱりわからないままだ。
だけど、例えば僕がいるこの水族館が、極端な話、巨人の作ったジオラマの一部であったと仮定しても、一向に困らないのだ。だってここが本物でも偽物でも、僕は息をすることができる。手足を動かして移動することができる。そして考えることができる。だとしたら本物と偽物の違いなんてものはきっと、些細なものなのだろう。
きらきらと光を反射して泳いでゆく、あの魚たちが、この水槽を本物だと認識していようがいまいが、彼らが生きていく世界はそこなのだから、どうでもいいではないか。彼らはきっと、ガラスの中だろうが海の中だろうが、誰かのプールの中でだって、同じように生きてゆくのだから。
だから、自分もきっと、ここがドールハウスの一部でも、ジオラマの一角でも、ましてや映像上のドキュメントであろうとも構わないのだ。どこに存在していたとしても、きっと僕のやりたいようにしかやらない。例えばそれがプログラムされた予定行動だとしても、それを知らないならそれが意志で構わない。
薄暗い水底のような水槽を前に、僕はぼんやりと沈んでいく自分を空想する。気泡がごぽごぽと遠ざかりやがて見えなくなり、光が閉ざされる時。冷たいその水が飲み込んでいるのは、果たして身体なのか意識なのか。どちらにしても同じようになくなるのなら、どこかで同じように存在するその可能性が、ゼロではないんじゃないか。そんなくだらない事を、けれども大切なことのように考える。


そうして出来上がる頭のなかの海洋世界に、自分という意識を一滴、落として。
その波紋が緩く広がり、次第に消えていく様子を、ただ、今は、見たい。

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