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テーマ:「階段」

初出:2005/10/02
競作テーマ「階段」。さようなら、それでも愛してる。

一歩、一歩、踏みしめるたび。


教会に厳かな聖歌が響いて、人々が祈りにくれる日曜日。
男は、ミサが始まりますと怒鳴り声が告げて、その木造のドアが閉じられるのを待っている。毎週、毎週、ただそれだけを生きる糧にして、耳を済ませている。
やがていつもの声が、同じようにそれを告げて、大きくきしんだ木製のドアが、ガチャリと大げさな音を立てて締め切られると、男は寄りかかっていた塀から億劫そうに体をはがし、教会の門をゆっくりとくぐる。
一歩、一歩。
まるでそこに道があるかどうかを確かめるように歩いて、誰もいない教会の敷地内を、礼拝堂とは逆方向に向かっていく。
踏みしめる大地は数日前からの晴天のおかげで、男の足跡すら残さないほど乾いていた。
誰もいない教会の墓地に踏み込む。
まるで自分が侵略者のような気がして、男は身を竦ませる。
けれどもそれも毎度のこと。男は、気を取り直してまた歩き出す。
一歩、一歩。
まるで、まだ自分が歩けることを確かめるような歩調で。
半分廃れたような質素な墓地や、誰も供養する者のいない共同墓地がある地帯を抜けると、その奥に階段があり、高台へと続いている。その先は、有力者しか墓を持つことを許されない、お金持ちたちのための高級霊園だった。


階段の前で、一度男の足が止まる。


何かを祈るように目を閉じて、深呼吸を繰り返す男の息遣いは、微かに震えている。
やがて、長い沈黙から目を開けると、まっすぐに階段の先を見詰めて、また震える足を踏み出した。
一歩、一歩。
まるで恐れるように震えながら、酔ったようにふらつきながら、それでも男は階段を上る。
そう長い階段ではないのに、男の喉の奥からは引きつったような息が漏れ、胸を締め付けるようなもどかしい切なさが、男を包んでいく。
一歩、一歩。
時間が止まったような錯覚の中で、踏み出すたびに竦みそうになる足を、前へ出す。その、決して長くはない階段を上るたび、男はいつも、このまま永遠に上にたどり着けない幻想を見る。
しかし。
階段は、着実に男を上へと誘い、途方もない気力を使い果たして男は霊園にたどり着く。
長い長い夢を見ているように、定まらない視線が目当てを探す。
ゆっくりと、ゆっくりと男は動く。よくよくみれば、その足が義足であることに気づく者もいるだろうけれど、今は男を見ている人間など、誰一人としていない時間だ。
一歩、一歩。
作り物の足で、踏みしめる。
欠けてしまっても補える、愛しい人の言ったとおりだと、男は空ろに考える。
探しているのは、男の唯一。
探しているのは、足を失ったそのとき、自分を立ち直らせてくれた人。
探しているのは――。
男の足が止まる。
そこは、霊園の端っこにひっそりと立っている、綺麗な白い墓石に金の十字架をあしらった、シンプルで清楚な墓だった。
胸が詰まる思いで、男はその墓石に刻まれた文字を指でたどる。


“19●●、美しき乙女ここに眠る――”


指先に刻まれたその名前。
何度も何度もたどった、その名前。
薄暗くなった男の視界で、その美しい文字がよく見えないことだけが残念だ。
声に出して何度も呼ぼうと思ったけれど、もう何年も出していない自分の声で、その乙女の名前が穢れることは耐えられない。
その人は、男が唯一、自分の全てと引き換えにしてもと願った。
その人は、男の心の一番優しい場所にいる。
その人は――。
震える指先に唇を落として、その指先で墓の十字架に触れる。
唇を合わせることさえ叶わなかった。気安く呼んだ数さえ片手で足りる。美しい人だった、優しい人だった、強い人だった。
こんな自分を。
あいしていると、言ってくれた唯一の。
がんばれと、励ましてくれた、唯一の。


「――ッ」


男は、静かに静かに泣く。
愛しい人がしあわせであれと。
自分はもうどうなってもいい。もうじききっと、この目もつぶれ、上手く動かなくなったこの腕も使えなくなり、街の片隅で死ぬだろう。
それでもいい、愛しい人の思い出があれば自分はそれで。
だから、どうか。
天国にいる美しい人が、誰よりも誰よりもしあわせであれと。
教会からパイプオルガンの音が聞こえてくる。
もう行かなくては、ミサが終わる前にここから消えなければならない。そうしなければ、彼女のうるさい遺族たちから、この短い逢瀬さえも禁止されてしまうかもしれない。
男は軋む体を動かして、名残惜しく墓に背を向ける。
一歩、一歩。
愛しい人の欠片から遠ざかり、重い足を引きずるようにして歩く。
あいしていた。
誰よりもたいせつで。
だから、身を引けといわれたときに。
身分違いだと怒鳴られたときに。
それが、彼女のためなら、と、泣いて。泣いて。泣いて。
結局は、彼女のことを一番思いやれなかったのは、自分だったのだと男は思う。
彼女は、どうしたかったのか。本当はそれが一番だったのに。彼女が望むのならば、駆け落ちでも何でもすればよかったのに。
さして高くもない階段の上から、廃れた墓地を見下ろして、男は一度だけ振り返る。
整然と整備された美しい霊園と、眼下のこの荒れた墓地と。
美しい人と自分とは、このくらいの差があって。
けれども。
階段さえ上れば。
とても、近かったのに。


通りなれた階段を男が下りる。
一歩、一歩。
この小さな階段が境界線。その決して高くはない境界線を、男は毎週超えに来る。
昔、越えられなかった線。
どうか。
追憶くらいは許してくださいと、祈りながら。

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