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愛しの泣き虫さん

初出:2012/05/02
こういうのよく書く気がします。散文的に。

優しい夢を祈るようにバトンで短編企画。
・優しい魔法
・最後の嘘
・神さまとワルツを
・透明水彩の世界
・ひとしずくのなみだ
・あたたかな手
・愛しの泣き虫さん
・さよならの代わりに
・弱い音がこぼれた

・儚く溶けた夢の終わり
・星屑ロマンチカ
・世界の最果てに広がる蒼
・優しい夢を祈るように




ノイズ。
震える空気。
耳をふさぐ手のひらの、温度。
……生きている、証。


「……泣きたくなるんだ」


かすれた声が、唇から零れ落ちる。床にこぼれて跳ね返って空気を横断して、そうしてその音は君の耳にも届いたらしい。困ったような顔をして、君がそう、と頷くと、もういちど空気が震える。
溢れそうな涙の、ゆるやかにじわじわと溜まっていく感覚。
水を通してぼやける世界、その中に君だけが、ぼやけてもなお、そこにいる。
「泣きたくなるんだ」
繰り返した声は震えて、滑稽なほどに揺れ動いて、それでも僕は言葉を心の底からえぐり出す。痛みを伴うのに、何か言わなくては心ごと凍りついてしまいそうだった。
「泣きたく、なる」
繰り返した言葉につられるように、涙が瞳から滑り落ちて頬を撫でる。顎に伝って、それから重力に従うように、床に落ちて。確かに生きている人間の、精一杯の自己主張のようなその涙を、僕は、拭うでもなくそのままにした。
君はまだ、困った顔をして僕を見ている。
「ねえ、死ぬって何なの。動かなくなったらそれが「死」なの。おかしいよ、だってそこにはまだ体があって、確かにそこに、居るのに」
ノイズのような自分の声が、溢れだした感情をそのままに君に向かって投げる。この言葉には刺があるから、きっと受け止める君は少し耳が痛いだろう。ごめんね、と思いながら、それでもまあるい言葉を投げてあげられるほど、僕は今優しくなれない。
「手を伸ばせば、触れるよ。呼んでも返事をもらえないけど、それでもそこに居るよ。それなのに死んでしまったの、おかしいよそんなの。だって、確かに、この手で、」
僕が昔から、「死ぬ」という言葉に過剰反応を起こすことを知っているから、だから君は告げるのをためらったのだろう。僕の家族はみんな死んでしまってもういないけど、それは僕の意識がしっかりする前のことだったから、それについて何も言えることはない。もしも今家族が死んだと言われたのだとしたら、僕なら、さっきまで魂が入っていたその体を燃やしてしまうなんて、そんなことは到底できやしない。絶対に、無理だ。だって、その人は確かに、昨日までそこにいたのに。
今日居ないから、明日も居ないなんて、そんなのおかしいよ。
「ちゃんと、昨日まで、笑って……!」
君がためらいがちに唇を開くので、僕はぎゅっと耳を抑えた。聞きたくない、聞きたくないんだ、お決まりの言葉なんて。理屈なんて。真実なんて。あきらめなんて。
そんな言葉、何個聞いたって頭に残らない。そうじゃない。僕はちゃんとした答えがほしいのに、大人たちはみんな自然の摂理だとか、それが当たり前なんだとか、諦めろと僕にそんな事ばかり言う。
君はまだ大人じゃないけれど、きっと同じ事を言うんだろう?
泣きながら見つめた君は、潤んだ視界の中で、それでも僕に手を伸ばす。
「……ごめんね」
ぽん、と頭に乗せられた手のひら。
暖かい手のひら。
生きている温度。
でも、どうして謝るのかわからない。ごめんねなんておかしい。だって君は何も悪くない。悪くない、よ。
「……あの子、最初から長くなかったんだ。先に言わなくてごめん。もう、どうしようもない所まで来てて、でも君と仲良くなって楽しそうだったから、言えなくて」
「……そんなこと聞きたいんじゃない」
「知ってる。でも、ありがとう」
ねえ、わからないよ。
死ぬってどういうことなの。どうして人間は死んでしまうの。笑い合っていた幸せの分だけ、いなくなった時こんなに悲しいのに。どうして、僕の命を分けてあげられないの、ねえ。
「なんで、お礼言うの」
声が震える。
涙は益々止まらなくて、流したとしても何も変わらないのに、それでも次々内側から溢れる。
笑ってたあの子。昨日まで話をしていたあの子。今日もう居ないなんて、そんなこと信じたくない。嫌だ。嫌だよ、怖いよ。
「……泣いてくれるから」
君の手のひらがゆっくりと僕の頭を撫でて、それで、泣きそうなのに泣けない顔で、君は痛そうに笑う。


「いつか、私がいなくなった時も、君はそうやって泣いてくれるんだね」


それが嬉しいんだよ、と君は言う。痛そうに。
嬉しくなんかないよ、ちっともない。
それでも僕は息をつまらせて、湧き上がる涙をもう一つ、ぱたぱたと落とした。



ねえ、死ぬってどういうこと。
こんな大きな空白に、人はどうやって折り合いをつけるの。
……分かりたく、ないよ。

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