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酔言

初出:2008/5/24
某方のオリジナルキャラを使ってのSS。

「ねエ先生、浄土って、一体なんなのでしょうね。人は死んだら何処へ往くというのでしょうね」



薄暗がりがまとわり付くような初夏の宵。
月見がてらに晩酌などいかがなものかとその家を訪れた学生は、もうすでに幾許か酔っていた様子で、縁側に座ると同時にそんなことをまくし立てた。
学 生は、苔色の着物に袴をはいて、いかにも勤労学生といういでたちをしている。左の耳の辺りに羽飾りを差しているところだけが派手なところで、あとは柔らか く地味にまとまった、という印象を与える青年だ。ただ、背丈はずいぶんと高く、それが一層彼の線の細さを強調するようで、一体この青年はちゃんと食事をし ているのか、と思われることも多かろう。
彼は、右手に持った酒瓶だけは丁寧に、左手に持っていた、きっちりと紐で結わえた本を三、四冊のほうは、振り回すようにして縁側に置いた。
「今日は哲学ですか、千歳君」
先 生、と呼ばれた男は無表情のまま、ぞんざいにそう答えて学生・・・千歳にお猪口を差し出した。ついでに枝豆でもどうぞ、いえ、お隣さんから貰ったのでね、 と付け加えて、ざるごとの枝豆を縁側に置く。それからついでのように自分もその淵に腰掛けて、ずいぶんと薄汚れて今にもやぶれそうな白衣を脱ぎ捨てて部屋 へ放った。
「先生、またそんな無精しなさって。いまに破れてしまいますよ」
千歳は眉をひそめて、茶化すように言うが、気にした様子もなく。
「そうしたら、新しいのを縫いますよ」
酷くぞんざいにそう答える。
先生、とはいえ、その男は正式な医家ではない。俗に言うところの闇医者というやつだ。男に正式な免許はなく、正式な手段で手に入れた薬もない。しかしこのあたりでは、その医者よりも役に立つ医家もなく、その男の作る薬よりも効き目のあるものもなかった。
どうして免許をとらないのか、といつだったか尋ねられたとき、医者は全く興味がないという顔でそっけなく、とろうと思えばいつでも取れるものだから、いらないのです。と答えたという。
もうずっと昔からここいら一帯を診ている流行医者だが、その実、全く年をとらない化け物だとも噂されている。何しろ、若い。学生の千歳と並んだところで、どちらが年上だか分かるまい。これで30も近いというのだから、詐欺ではなかろうか。
うっそうと伸ばした黒髪を一つにくくって、方眼鏡をかけたその医者を、しかし慕う学生はそれなりに多かった。知識が豊富で、会話に飽きぬというのである。
「それで、浄土がどうしました」
自分にも手酌で酒を注ぎながら、医者は小さく促した。
「そう、それでしたね、陸先生」
学生が大きく身を乗り出して、両の手を振り回しながら、叫ぶように語り始める。
「先生、ご存知でしょう。千歳が詩歌の倶楽部に所属して居ることですよ。今日はその集まりだったんですが、ねエ、ある人が言うんです、辞世の句ほど美しいものはない、なんて。それで、上杉謙信の歌を詠って見せて、あれです、有明の・・・」
「へェ・・・ずいぶんと渋い趣味をお持ちだ」
「そ こからですよ、詩歌の倶楽部だというのに、生死感なんぞ、語りだしたんです。哲学学科はこれだから!生きることの意義とは何か、から始まって、死というも のの存在意義だとか、死んだらどこへ行くという詭弁の多様性だとか、生まれ変わりの信憑性だとか。千歳はそんなものを聞く為に集まりに顔を出したんじゃ ア、ないんですよぅ!」
一気にそう叫んで、千歳はばたりと縁側の廊下に転がった。全く綺麗な月夜だというのに、辛気臭い話をしたものだ。昼間の歌会までで暇していれば良かった。
「先生、人間ってのは、ちっぽけなんでしょうかねェ」
「どうして」
「リィダァを気取っている哲学科の男がね、云うんです。人間なぞ取るに足らぬほどちっぽけだってね。千歳はそれで頭に来てしまって、その男に喧嘩を吹っかけようかと思った程です」
ああ、と医者は頷いた。
「千歳君は人が好きだから」
「そうなんですよぅ。千歳は人が好きです。ぜんぜん、ちっぽけなんかではない。千歳の心の中ではとても大きな存在です。それを、とるにたらないと云い捨てた上、故にいつ死が訪れようと世界に何の影響も及ぼさないといわれたらば、そりゃア、千歳は頭にきます」
何でも、自分の解釈でばかり意見を押し付けられるのは苦痛ですけれど、今日は特にいただけませんでしたよ、とへろり笑う。
「先生、先生はどう思われますか。先生の意見では、やはり人間というのはちっぽけですか」
「僕の、個人的な意見を言えばよいのですね」
「はい」
学生というのは本当に、この手の水掛け論が好きなのだな、と医者は思う。考えたとて考えたとて、そこに答えなぞありゃしないような、大きなことばかり考えたがる。
けれど、それが学生の特権なのかもしれない、とも。
「そうですね。僕は、人間っていうのは大きいと思いますよ」
さらりと結論だけ落として、それに至るまでの過程は全く教えちゃ呉れないのがこの医者の素敵なところだ、と千歳は思う。
だって、人の思考回路なんてもの、延々聞かされたって詰まらない。それは想像するのが楽しいのだと。
「意外です。先生、ドエトエフスキィはお好きでした?」
「嫌いですよ、あんな作家」
驚いて思わず尋ねた千歳に、真正面から視線を合わせて、医者は思い切り顔をゆがめた。
「何だって僕が、あんな、部屋の様子を説明するだけでペェジを五枚も六枚も使うようなくどい作家を好きでなきゃいけないんです。露西亜の作家っていうのはみんなそうですけど、僕はああいう説明しなくていいところばっかり精密にするのは、どうかと思いますね」
「だって。今の言い回し、まるで「どん底」の台詞みたいで」
本気で嫌悪感をあらわす医者に、こういうところは子供みたいだなァ、なんて学生は笑う。口にしたらどんな顔をするかとも思ったが、年上はたてるべきだと飲み込んだ。
「死ぬとか生きるとか、ぐるぐる考えるのはおやめなさいな。その哲学科の学生にも言ってあげたいけれど。そんなこと考え続けてたら早く死にます」
「太宰治みたいに?あア、回りくどい文章がお好きじゃないのなら、太宰もお嫌いかしらん」
「太宰はわりと好きですよ。よく眠れます」
「先生・・・」
がくっと脱力してみせる千歳に、何故そんな態度をとるのかわかりかねる、という顔で医者は首をかしげた。
「詩歌には関係のないことです、千歳君」
「わかっていますけれど」
けれど本当に腹が立ったのだ、と目で訴える千歳に、医者はただ軽く笑うだけで酒瓶を差し出した。
まあ飲め、ということらしい。
全くつかめない人だと、千歳は笑いながらお猪口を差し出す。この人と一緒にいると、はぐらかされてばかりなきがする。あるいは、問題を解く糸口だけいくつも差し出して、問題の解き方を教えてくれていないだけなのかもしれないが。
「いぢわるな先生」
冷えた枝豆は、酒に酔った喉に酷く馴染んで、美味に感じられた。
なみなみ注がれた酒を一気に仰いでから、千歳は廊下にぱたりと転がる。




「ねエ先生、浄土って、一体なんなのでしょうね。人は死んだら何処へ往くというのでしょうね」




最初の疑問をもう一度、吐き出す。
「存外、君は執念深いですね」
飄々とした口調は相変わらずの無感情で、とても医者らしかった。
「先生、せめてしつこい、くらいにしておいてくださいな」
「意味は同じでしょうに」
「印象が違うのです」
「それはそれは」
肩をすくめた医者は、自分の猪口から酒を飲み干すと、また手酌で継ぎ足して、なんでもないことのように無造作に。



「消えるだけです。何処へも、いけはしませんよ」



さらっと吐き出された言葉は、無色透明。
「・・・見てきたようなことを」
「見たかもしれません」
「先生。千歳は冗談は云っておりません」
「でしょうね」
僕とて冗談など、それこそ冗談でしょう。医者はそう囁いて、また酒を空にした。
そういえば、この医者が酔ったところを見たことがない。千歳は、飲んでも飲んでも顔色の変わらぬその横顔をじっと見つめて、やがて大きく息を吐き出す。
「可笑しな話でしょうけれど、千歳は、先生なら見てきたかもしれないと、少し思いましたよ」
本当、可笑しな話。
先生ももしかして酔っていらっしゃるのかしらん。
小さくつぶやいた千歳の声に、医者はそうですね、とつぶやき返した。酔っているのでしょう、だから、これは酔っ払いの戯言です。




「消えるほうがいいです。僕は」




君の行く先は君が決めなさい。
そう続けた医者に、千歳はもう一度息を吐く。
「本当、自分勝手な先生」

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