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そらのいのち

初出:2007/7/24
レトロ調というか、こういうの書いてる時は大抵横溝正史読んでる時。
戦闘機が好きです。


いうなかれ、いうなかれ君よ別れを




強い感情が動くとき、そこには風が吹く。
言葉はもしかして、いらないかもしれない。
表情などもしかして、邪魔なのかもしれない。
ただ、何か強い感情に触れるとき、いつも、そこには風が吹いていた。



「よう」

「や」

「しばらく」

「久しいねエ」


空は薄く曇りがちで、天候はあまりよくない。もうじき雨雲が着そうな暗さがずっとさきまで続いている。
雲は、飛行機乗りの天敵だ。あの中では自分の向いている方向さえも失われる。それでもその中を、あえて突っ切らなければならないときもあるもので、そんなときは世界中に自分しか頼るものがない。
空では、みんな孤独だ。


「足はどうしたね」

「くれてやったよぅ」

「くれたって?」

「欲しいって言うからさア」



空が。
男は、にんまりといたずら好きな猫のように笑った。捲り上げた左の足の、ひざから下には、無機質な木の義足がにゅっと伸びている。
しかしここは、簡素ながらも飛行場だ。
ということは。


「乗るのかね」

「乗るよオ」

「その足で?」

「乗れるさア」

「しかし、コントロオルが効くかい?」

「効かせるんサ」


男は無造作に、木の足をこつんとたたく。
接合部分が腫れて赤くなっているが、もう慣れている様子だ。幾度も針を通したような痕が、ひざの付近に集中していた。
これは見ているほうが痛い。


「何も、その足ならば飛行機でなくてもよかろう」

「やなこったア」

「乗るには痛かろう」

「痛いネ、けど、地上で見上げてるほうがもっと痛いさア」

「何故」

「こいつが、」


男の指が、目の前の飛行機の翼にこつんと触れる。まるで親友の肩をたたくような気楽さで、親愛のこもった目で。


「俺を呼ぶんだよ、空にいきたいってネ」


砂を巻き上げて風が吹く。
みれば、義足の先は、ブレエキを踏みやすいようにか、やすりで荒く削って平らにしてある。義足といいながら、足の形をしていないのである。
これは、なんと痛々しい姿か。
もはや人の形など捨てていいから、それでも空へ行くというのだ。


「君、しかしそれならば、もっと操縦の楽な飛行機にしたらどうだい」

「楽だよオ」

「先月できた新型ならば、こんな旧式よりもずっと、レエダアも発達しているよ」

「レエダアは要らんよ、目のほうが良いサ」

「舵もずっと軽い」

「この重さが好きでネ」

「ブレエキだってかかりがいいし」

「義足がこれに慣れてる、結局は、新しく慣らす方が厄介サ」


飛行機はどんどん新しいのがくるというのに、男はずっと同じものしか乗る気がないらしい。整備するのも厄介なのにと、整備員がつぶやいていたのを思い出した。
誰が何度すすめても、のらりくらりと聞きやしない。


「昔は、こいつの仲間もたくさんいたねエ」

「ああ、俺も乗っていた」

「けど、どんどん新しいのが入ってきて、今じゃこいつ一人サ。だから俺は、決めたのさア。俺は最後までこいつと一緒に戦って、死ぬときは、こいつと一緒だってねエ」

「何を」

「まだ死神は、俺は要らんと言っているがねエ」


悪運強く、まだ生きていると自嘲する。
男の仲間はみんな、みんな、死んだ。そしてまた今日も、死ぬだろう。乾いたように笑う男に、死はどう映るのか。
問いたくて。


「怖くないかい」

「怖いよオ」

「それでも、また、上がるのかい」

「サイレンが鳴ったら行くさア。怖くても震えても、こいつに座ったら俺はその瞬間から、無敵ヨ」


片びっこでは早く走れないから、いつでも傍にはべっているのだという。食事も睡眠も、ほとんどこの場所で一人でとると。
サイレンがなったら、誰より早くプロペラを回して、誰より先に座席に座り、誰にもまけずに空へと舞い上がる。
まるで地上に遊びに来て、空へ帰っていくみたいだ、と。


「無敵か。それは、いいな」

「いいだろう、いいだろう。お前は無敵じゃないんかイ」

「俺は、ダメだな。まだまだいつも、怖いばかりだ」

「そうかイ、まあ、お前らしいねエ」


男がひょいとコバルトブルウのマフラアを首から外した。見ると、まだ新しいようだ。
そういえば先日、男の細君が来て行ったと聞く。さてはもらったのかと思ってみていると、男はほれ、と俺に向かってそのマフラアを差し出した。


「やるよオ」

「イヤ、しかし」

「俺には必要ないからネ。それに、くれてやりたいんさア」

「いかんよ、君、細君からだろう」

「いいんだよ、いいんだよオ。俺は無敵だからサ。無敵じゃないお前には、身を守るものが必要だろうヨ」


遠慮する手に、男は強引にマフラアを握らせて、また猫のようにニッカと笑った。
なぜか、空に溶けそうな顔だと思った。
それは、思えば何か悲しい予感を連想させた。



「俺はもう、空の命だからねエ」



ごおおぅと、風がうなりをあげて雲を押し流していく。
男は、晴れを待って愛機にもたれ、空を仰ぐ。
その横顔に確かな、決意が見えた。
そう、強い感情に触れるとき、必ず、そこには風がある。


いうなかれ、君を別れを。
いわなくば、希望はまだ胸に。

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