暁を待つ庭/短編保管庫
別ブログにて書き散らした短編まとめ。
激しく気まぐれ更新。
夕闇
初出:2008/7/29
ノスタルジア。
ノスタルジア。
有象無象覆いつくすと云うならば、そこに居りなさい。
消えゆく世界を哀れむならば、涙一つで良い。
町を焼く黄昏の空に、言葉に出来ず息を吐く。
アァずいぶんと遠くまで来てしまった、と、旅人は一度だけ振り返った。そこにただ延々と続く、かわりばえのないのっぺらぼうのような道が、夕闇に隠れて息を潜めている。
小高い丘の上から町を見下ろしても、町はまるですでに眠っているかのように静かだった。時折ふらりと影が揺れたが、どの影も長く旅人の目にとどまらない。
アア、ずいぶんと。旅人は小さく笑って、その丘の上に座り込む。平坦な町から一際高く伸びるえんとつの先が、空を支えているようだ。
子 供のころ、あの煙突を上ってやろうと無茶をしたものだ。見つかって酷く怒られた思い出、告げ口をした悪友の心配したような顔、妹が泣きながら馬鹿、とたた いた肩の痛み・・・そんな有象無象が、無限に流れてあふれた。山に囲まれてダムに守られた小さな秘密基地のような町。宝石箱のようだった、今では懐かしく 遠い。
少しだけほかの家より背の高い学校。柱に刻んだ落書きはまだ残るだろうか。上履きを失くして泣いたっけ。その裏には、大きな桜の木が堂々と枝を広げていて、春にはそりゃあ見事だった。
学 校から続く道を下れば、角のパン屋。いつもジャムをおまけしてくれた店番のおばあちゃんの笑顔。向かいの本屋は立ち読みしてよく怒られた。さらにくだって 診療所、かっこ悪くも注射が嫌だと泣いた昔。突き当たって船着場、停泊していた木船に乗って遊んで、足を滑らせて落ちたこともある。堤防沿いに帰り道。グ ミの実を食べた夏。
形在るものは有限だ。いつか必ず壊れてしまう。
思い出ならば無限だろうか。この心は、いつまで宝物を覚えていられるだろう。
高く伸びる煙突の先が藍にまぎれて見えなくなっていく。
さようならを言えなくて、旅人は一つ大きく息を吐き、そのまま涙を零した。
小さなころは、あの煙突より高いものを知らなかった。今ならば、それより高いものをいくつでもあげられる。それはどうにも心に沁みて、やはり泣かずにいられない。
さようなら、を。
だめだなあと旅人はつぶやいた。
どんなに言おうと思っても、言葉は滲んでぼやけて拡散するばかり。言えないのは、言いたくないからなのだろう。夕闇に沈んでいく平べったい町に向かって、旅人は瞬きをし、もう一粒の涙を零す。
最後だから覚えていたいと思った。
最後なのに滲んでしまってよくわからない。
けれど忘れても、たぶん、そこに宝物があったことだけは、覚えていよう。
さあ、消えゆく世界よ。
夕闇に抱かれて眠れ。
消えゆく世界を哀れむならば、涙一つで良い。
町を焼く黄昏の空に、言葉に出来ず息を吐く。
アァずいぶんと遠くまで来てしまった、と、旅人は一度だけ振り返った。そこにただ延々と続く、かわりばえのないのっぺらぼうのような道が、夕闇に隠れて息を潜めている。
小高い丘の上から町を見下ろしても、町はまるですでに眠っているかのように静かだった。時折ふらりと影が揺れたが、どの影も長く旅人の目にとどまらない。
アア、ずいぶんと。旅人は小さく笑って、その丘の上に座り込む。平坦な町から一際高く伸びるえんとつの先が、空を支えているようだ。
子 供のころ、あの煙突を上ってやろうと無茶をしたものだ。見つかって酷く怒られた思い出、告げ口をした悪友の心配したような顔、妹が泣きながら馬鹿、とたた いた肩の痛み・・・そんな有象無象が、無限に流れてあふれた。山に囲まれてダムに守られた小さな秘密基地のような町。宝石箱のようだった、今では懐かしく 遠い。
少しだけほかの家より背の高い学校。柱に刻んだ落書きはまだ残るだろうか。上履きを失くして泣いたっけ。その裏には、大きな桜の木が堂々と枝を広げていて、春にはそりゃあ見事だった。
学 校から続く道を下れば、角のパン屋。いつもジャムをおまけしてくれた店番のおばあちゃんの笑顔。向かいの本屋は立ち読みしてよく怒られた。さらにくだって 診療所、かっこ悪くも注射が嫌だと泣いた昔。突き当たって船着場、停泊していた木船に乗って遊んで、足を滑らせて落ちたこともある。堤防沿いに帰り道。グ ミの実を食べた夏。
形在るものは有限だ。いつか必ず壊れてしまう。
思い出ならば無限だろうか。この心は、いつまで宝物を覚えていられるだろう。
高く伸びる煙突の先が藍にまぎれて見えなくなっていく。
さようならを言えなくて、旅人は一つ大きく息を吐き、そのまま涙を零した。
小さなころは、あの煙突より高いものを知らなかった。今ならば、それより高いものをいくつでもあげられる。それはどうにも心に沁みて、やはり泣かずにいられない。
さようなら、を。
だめだなあと旅人はつぶやいた。
どんなに言おうと思っても、言葉は滲んでぼやけて拡散するばかり。言えないのは、言いたくないからなのだろう。夕闇に沈んでいく平べったい町に向かって、旅人は瞬きをし、もう一粒の涙を零す。
最後だから覚えていたいと思った。
最後なのに滲んでしまってよくわからない。
けれど忘れても、たぶん、そこに宝物があったことだけは、覚えていよう。
さあ、消えゆく世界よ。
夕闇に抱かれて眠れ。
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