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大切なあなたのこと

初出:2009/10/15
下の絵を描く男の話と対。こっちは後から読むほうが良いかと。

遠く砂漠の向こうの町に、絵を描く男がいた。
男は絵を描くことのほかに何も出来なかった。物覚えも良くなく、人として暮らすに大切なことでさえも、しばしば忘れた。そのかわり男の描く絵は素晴らしく美しく、まるでそこにそのものがあるかのように人に思わせるのだった。


さて、ここに一人の女がいる。


彼女は男の絵に魅せられ、男の身の回りの世話を請け負った女性だった。最も、世話といっても裏方の作業ばかりで、実際に世話を焼いていたのは彼女の父親だったが、妙齢の男女のこととあらば仕方があるまい。
男は、人としてネジが2・3本抜け落ちたところがあって、理解できない行動をとることも多かったが、女はそれを気に留めなかった。
真 夜中に奇声を上げようが、何度教えても女の名前を覚えなかろうが、あまつさえ自分自身の名さえも言えない男であろうが、そんなことは問題ではない。その指 が、描くことの一部として覚えているサインで、男の名前を知ることが出来たし、自分の名前は、別に男が覚えていなくても事足りる。奇行も奇声も、近所にさ え迷惑をかけなければそれでいいと、好きにさせた。その代わりに女は、男の描く全ての絵画を、誰よりも早く目にとめることができるのである。
男の 絵は、美術商たちにとんでもない金額で売れていった。女にとってそれは寂しいことでもあったが、描き続ける男の絵で家が溢れる前に、生活の為にも絵を売ら なくてはならない。誰より男の絵を愛する女は、自分と同じほどこの絵を愛する誰かに買われて欲しいと願いながら、絵を売って得た金銭で男のために世話を焼 いた。女にとっての至福とは男が絵を描くことであり、その描かれた世界こそが、女の夢だった。
やがて時代は流れ、町は急速に戦争へと傾れていく。
男 の愛した緑の森も、黄土色の砂が舞う砂漠も、物騒な重機に蹂躙され、巨大兵器が砕いていった。女の父親も戦争に取られて戻らなかった。そのころにはもう、 男の世話は何もかもが女の手にゆだねられていた。濁った水や、灰となる森や、逃げ惑う市民の姿を見るにつけ、男の指は段々と絵筆を握れなくなり、ただぼ けっと、日向で時が過ぎるのを待つことが多くなった。
男にとって、生きることとは絵を描くことだった。
即ち、絵を描けないのならば、死んでいるのと同じことだ。
男の目からは輝きが消え、家からは活気が消し飛んだ。戦火は益々雄雄しく雄たけびを上げ、町は、炎に食われ、銃弾に呑まれた。
女 は一人、必死でそんな町を駆け回った。かき集めた食料を抱え、崩れた瓦礫の隙間から衣服を拾い集める。焼けかけた無人の画材道具屋から、散らばる絵の具と カンバスを拾い上げた。何時自分に銃弾が振るとも限らない町を、それでも女は連日、男のために走った。自分は決して死なないのだと女は信じていた。なぜな ら、男はまだ絵を描ける。男の指はもう一度筆を握れる。あの絵があるのなら、まだこれから生まれるというのなら、それを一番最初に見るのは自分だからだ。
戦火はいよいよ強くなり、ついにこの町も終わりの日が来ると噂された。明日には一斉攻撃があるぞという話に、市民たちは決死の覚悟で町を捨てていった。女は、うつろな目をした男の隣で夜空を見上げ、だらりと投げ出された男の手のひらを取って、ほんの少し涙を零した。


ねえあなた、覚えている?かつてこの先に、深い緑の森があったわね。私よく、かくれんぼをして遊んだわ。この季節、なんていう名前だったかしら、あの黄色の花・・・小さな花がいくつも咲き乱れて、まるで黄金色の道みたいだったわねえ。


女はつらつらと男に語りかけた。今まで一度も返った事のない言葉を、期待はしなかった。男は絵を描くための存在だから、女のことを認識しなくともそれはそれで構わなかった。ただ、もう一度男の指が生む絵を、色を、死ぬ前に見たいと思った。
女 が、窓から見ていた景色を思い出しながら言葉にすると、男はほんの少し視線を女のほうに移したので、女はそれだけで嬉しくなって、次から次へと言葉を零し た。冬に咲く赤い花、春に咲く白い花、夏に咲く黄色い花に、秋に咲く紫の。森に済むふくろうの声、トンボの飛び交う空、夕焼けの赤、何もかもを飲み込むよ うな、夜の暗い森の色。
段々と、男は何か探すような仕草を見せた。手をあちこちにさまよわせ、あれではない、これではない、と掴んでは放り投げる。女が首をかしげていると、その指が絵筆を掴んだ。
これだ、と男の目が言った。女は、驚いて声を上げ、壁に立てかけてあったカンバスへと走った。拾い集めた絵の具を整えて差し出すと、男は、初めてまっすぐに女を見詰めて、ただ一言、蚊の鳴くような小さな声で、『ありがとう』と言った。


ありがとう。


それは、全く予期せぬ言葉であり、男がはっきりと女へ向けた、初めての言葉だった。女は、男が自分を認識しているだなんて欠片も思っていなかった。男はきっと、男の世界から永遠に出てこないし、この世界のものを男が見るのは、絵を通してだけなのだと思っていた。
遠くで銃弾の音を聞きながら、戦火の叫びを聞きながら、男は描いた。
それは女の話した黄金の道のような山吹色の花の咲く、いつかの森の姿。男は一心不乱にそれを描き続けた。女は、それを隣で見詰めながら、ただぼろぼろと涙を零していた。


奇跡は起きた。
戦火は町を壊したけれど、2人は死ななかった。


男は絵を描くことを思い出し、再び生きることを始めた。女はやはり、男の絵を一番最初に見る人間として、必死で男を助け続けた。
戦 火を潜り抜けた町は、前のように栄えなかったが、それは2人にとってどうでもいいことだった。食料を確保するのは困難になったが、女が溜め込んでいた戦前 からの男の財産は、2人分の生活を維持するのに役立った。美術商が途絶えて久しかった男の家の扉を、久方ぶりの美術商がノックしてからは、益々生活は元通 りに戻って行った。水は色を落ち着け、森は再び新芽を生んだ。町は荒れ果て、元通りになるにはほど遠かったけれど、生きていくには事足りる。しばらくすれ ばもう、そこには前と同じように、一心不乱に描き続ける一人の画家と、それを支える一人の女がいるばかりだった。
いつしか、男の絵には女の姿が描 かれ始めた。それは洗濯物を干している横顔であったり、料理を運んでくる微笑であったり、庭の花に水をやる背中であったりしたが、女は、男の見る世界に自 分がいるのだと、それだけが嬉しかった。描かれる女は笑顔ばかりで、それが男の絵の人気をほんの少し後押しした。
親族連中は女に、結婚をしないの かと勧めたが、女はそんなことを考えたりはしなかった。男は絵を描くために生まれた天才だ。ほかの事には全く向かないのだ。ただ、もしかしてあの夜のよう に、もう一度だけ自分に向けた言葉を零してくれたなら、それはとても嬉しいことだろうとは思った。夢のような話だ。男の絵を一番に見るという人生の贅沢を 叶えて、どうしてこれ以上を望めよう。
ただ、女はきっと、ずっと男のそばにいようと、そういう風に決めていた。


風は唐突に吹き始める。
いつものように、絵を描く男に食事を運んだ女は、差し出された男の絵を覗き込んでいつもと同じように感想を告げる。男はその言葉を聞こえているのかいないのか分からないが、いつもならばそのまままた次のカンバスへと伸ばす手を、今日は伸ばさなかった。
どうしたのかと男の顔を覗き込んだ女は、男が泣いていると気づいた。それは長い長い年月を隣で生きてきた女が、初めて目にする男の感情だった。

どうしたの?どこかいたいの?

女は慌ててその涙に手を伸ばした。女の白い手のひらの上に、男の、絵の具だらけの天才の手が、ぎこちなく重なった。
男の目は、今やはっきりと女を見据えてまっすぐに向けられ、そうしてその唇が、夢から覚めたかのように女に告げた。


あなたの、名前は何?



ほとんど廃れ果てた砂漠の向こうの小さな町に、一人の絵描きが住んでいる。そうしてその隣には、男の世話をする女がひとり、今日もかいがいしく男を支えて家を守っている。
それは泣きたくなるほど当たり前の光景で、そうしてたぶん、やっぱり一つの奇跡だった。

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