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帰還 前編

初出:2005/10/19
長いので2つに分ける。
お帰り。

耳に残る言葉はただひとつ。


小さな駅のプラットホームには、今日も人影がない。
電車が来るのはあと一時間もあと。小春日和とはいえ風が冷たい今日のような日に、一時間後の電車を外で待つなんて馬鹿みたいだ。
けれども。
馬鹿でもいいから、今日は待ちたかった。
ジャケットのポケットに両手を突っ込んで、ホットコーヒーの缶を片手にベンチに座り込む。無人駅のホームに切符の売り場はなく、電車に乗ってから車掌から買うのだ。
もちろん改札もないその駅には、いつでも好きなときに入ることができる。駅というか、駅の変わりに鎮座している小屋みたいに小さな待合室を抜ければいいし、そこをわざわざ通らなくても、裏の田んぼのあぜ道を通れば直接ホームに降りられる。
実際に、二時間に一本しかない電車に間に合うために、そのあぜ道からものすごい勢いで走り降りてくる子供たちの姿など、このあたりでは日常風景だ。
冷たい風にあおられて、もうぼろぼろ落ち葉が地面を滑っていく。
もうさび付いたベンチに座って荷物を横に置いた。大きめのリュックは小旅行に行くといっても納得されるだろうし、また学校の帰りだと告げたところで何の疑問ももたれない、ありふれたものだ。
さあ。
どうしようか?
手のひらで、コーヒーの温かさだけが温度だった。


どこで、君と僕の道は違う方向を向いたのだろう。
何度か繰り返し問うた。


手紙が来たのは、昨日のことだった。
朝早くに外出したせいで、実際に目を通せたのは深夜に近い時間帯だった。君からの手紙なのだからどれだけ無愛想なのだろうかと期待していたわりに、きちんと拝啓、から始まり敬具、で終わったその三枚の便箋の中身は、柔らかな流れをつむいでいた。
ああ、君も変わったんだろうか。
ほんの少しくらいは変わったんだろうか。
無用な期待を抱こうとする心をいさめて、最後まで読んだ。最後の、君の署名まで、きっちりと読んだ。
月の明るい晩だった。
淡いブルーの便箋に書いてあった君の文字は、相変わらず丸っこくて小さくて読みづらかった。君らしい字だ、誰かに読まれることなんか想定してないんじゃないかってくらいに、小さく小さく。
無愛想で、それなのにどうしてだかひどくやさしさを感じる君の声が、ふっとよみがえっては消えていった。
君が帰ってくる。
内容を集約すればそういうことだった。
君は帰ってくるのだという、せわしない都会の波からはぐれて。
その足で選び取った道を、引き返して。
この町に。


だから僕は言ったじゃないか。
君は誰よりもこの土地に愛されているのにと。


午後三時十二分着の電車がこんなに待ち遠しかったのはこれが初めてだ。
がたがたとひどく揺れる二両編成、ローカル線の代名詞のような路線。白地にくすんだオレンジのラインが入った車両はひどく汚れている。
ピークのときでも全員が座れるくらいの人数しか乗せることがないこの電車は、よく今まで運転が続いているものだと思う。
けれど、そのくたびれた車窓から眺める景色はひどくきれいだ。
夕暮れ時の川辺など息を呑むほどに輝いて、時折泣きたくなる。僕のその思いに、一番同意していたのは君だったね、そういえば。
だから言ったじゃないか。
君はこの町を愛しているんだと。



さよなら、永遠に。


そんな陳腐な別れの言葉を、あの時君は口にした。卒業したばかりの高校を見つめて、まるで墓に花でも添えるように、そんなことを。
「永遠に?」
僕が聞き返したら、それに素直にうなずいて、悲しく眉を寄せた。
「ここには、いい思い出がありすぎる」
大好きで、大好きでたまらないくせに、そんなことをいう。ああ、やっぱり君は変わらなかったんだと、そのとき思った。
昔からずっとそうだった。
自分に起こる奇跡や幸福を、どうしたって素直に受け入れられない子供。少しは変わっただろうかと思っていたんだ、このごろじゃ君は笑うから。
「行くのか?」
どこへ、とは聞かないし、聞いたとしてもきっといわない。
「うん」
引き止めたとしても無駄だろう。だから、僕に言える言葉はただ一つ。
「いつでも帰って来いよ」
暗に、自分はここにいると。
ずっとずっとここにいると、そういう意味をこめて。
君はあいまいに微笑んだまま、僕の言葉には答えずに、一時間ほど前自販機で購入したコーヒーの缶をあけた。
「・・・あーあ」
ため息は、ひどく、絶望を含んで。
「温かかったけど、時間がたつとだめだな。もうアイスコーヒーみたいだ」


まるで。
この暖かかった場所も、時間がたてば冷たくなるとでも。言うように。


生きるうえで、執着したものが三つある。
君はそう言って電話越しに笑った。
生まれながらに、そう幸福とはいえない男だった。いくつかの事情は僕もよく知っていたし、家庭内の不和だとか優しい言葉で隠された暴力も、なんとなく察していた。
まだ学校に上がる前に始めてあったときから、生傷の耐えないやつだった。笑うこともない、怒ることもない、涙を流すこともない。人形みたいな目で、不思議そうに外を見るだけの子供。
僕が絆創膏を差し出したとき、驚いて目を見開いた君の姿を、まだ覚えているよ。
この世にそんな親切があるなんて思っても見なかったと、後からつぶやいた声も。
生きるうえで、執着したもの。
僕はたくさんある、手放したくないと思ったものなんて。
部屋の中をぐるりと見渡して、ずべて捨てろと言われたら絶対にいやだ。けれど君ならば、あっさりとすべて捨てるのだろう。そういう人だ。結局かわらなかった。
「ひとつは、命」
それだけは、捨てろといわれても困る。
当たり前のようなそんな声に、一瞬息が止まった。
「二つ目は、お前」
いまだに連絡取っている友人なんか一人だけ。それはなんとなくわかっている。
「最後は・・・」
消え入りそうな声でささやかれたその言葉を、覚えている。
まだ、覚えているよ。
足元を掠めて落ち葉がすべる。
そろそろ、小屋のような待合室にちらほらと老人の影が現れ始めた。
後十分くらいで電車は来るだろうか。ずっと持っていた缶コーヒーを開けたなら、中身はすっかり冷たくなっていた。
もう、アイスコーヒーみたい。
君の声が響いた気がして、はっとする。


でも、何度も言ったじゃないか。
さめたのなら、もう一度暖めればいいと。


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