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帰還 後編

初出:2005/10/20
続き。

岩瀬は、秋も終わるなあと、うす曇の空を見上げて唐突に思った。
きれいな秋晴れが続いた後に、こういう薄ら寒い日がやってくると、生徒たちがいっせいに首にマフラーを巻いてくる。校門を出て行く黒の行列の中に不意に赤や青の鮮やかな色彩を見つけると、寒くなったのか、と改めて感じるのだった。
岩瀬が教職について、今年で二十四年目の冬が来る。
この田舎の純朴な町にやってきてたのは、五年前の春だった。桜が満開で山が驚くほど美しく、これが本物の自然というものなのか、と感動したのを、まだ覚えている。
以来、なんだかんだで居心地がよく、こうして何年も居座ってしまっているのだった。
全校生徒の名前を覚えてしまえる規模のこの高校では、都会に見られるようなすさんだ空気がない。不良とかいえる人間だっていなくもないが、その不良が町でお年寄りの荷物を持って談笑しながら歩いているところを見たときなど、驚いたものだ。
根本的に、人間がいいのだ。住んだ水のように純粋で、少しばかり汚れたように見せてみても、やはり中身は透き通っている。
だから岩瀬は、すっかりこの土地が好きになってしまって、いられる限りはここにいようと心に決めているのだった。
テスト前の一週間は、放課後の部活が禁じられる。
いつもにぎやかな校庭には人影がなく、それが余計に季節の移ろいを感じさせるような気がした。
秋も終わるなあ、と岩瀬はもう一度思って、誰もいない廊下の窓を開けた。寒そうな校庭には、やはり冷たい風が吹いていた。


「いわやん、戸締り?」


不意に、そんな声がかけられて、岩瀬はぎょっとした。
誰もいないと思っていたから、悠長に物思いにふけっていたというのに。あわてて廊下を見渡してみたが、しかしそこに人影はない。
「俺だよ、俺。ここ」
とたん、窓の外からひらひらと手が振られて、それでようやく窓の下にしゃがみこんでいた人影に気づいた。
「・・・なんだ、奥山か。卒業生が何してる」
覗き込めば、にへら、と笑った青年が一人、黒い薄手のコートを羽織って、小さな箱を抱えるように抱いてそこにいた。
三年前の卒業生だ。
岩瀬が担任をしていただけあって、すぐに顔と名前が一致した。それに彼は、珍しく都会には出て行かずに、この小さな町で自宅の経営する店を継ぐ予定だ。
「やー・・・ちょっとね。それよりいわやん、ちょっと見ないうちに老けた?白髪多くなってるよ」
「ばか者、お前と会わなくなって三年だぞ、いやでも老ける」
「あはは、まあそうか」
目立つ生徒ではなかった。成績はなかなかよかったが、生徒会や役職には興味がなく、いつも特定の友達とつるんでいたはずだ。ただ、人当たりはよかったので敵もなく、いつも当たり前のようにそこにいる生徒だったように思う。
だから、岩瀬は彼がこの町に残ると聞いたとき、ああそうだろうなあ、と納得したのだ。
彼にはこの土地が似合う、そう思った。
「いわやんさ」
不意に、その柔らかな声が問う。
「滝、覚えてる?」
「タキ?」
「滝谷。ほら、俺といつも一緒にいたじゃん、滝谷誠だよ」
「ああ、滝谷か」
岩瀬はひとつうなずいて、窓を乗り越えて上履きのまま外に出た。
縮こまるようにして座っている奥山の隣に自分も腰掛けて、そのもの言いたげな表情を見返す。
「覚えてるぞー、お前と違って優秀だった。頭もよくって運動もできて、歌もうまかったな」
「げ、嫌味?俺のオンチにあてつけてない?」
「真実を語ったまでだな。・・・滝谷がどうした?確か、東京に出て働くって行って、卒業と同時に家を出たんだったな?」
「・・・ん」
もの言いたげな表情がますます深まり、奥山はついと頬杖をついた。その姿は、悲しいくらいに秋の終わりのこの景色に溶け込む。
「あいつの家さ、両親離婚して、母親行方不明になったじゃん?父親は離婚と同時に海外行っちゃって音信不通で。・・・あいつ、東京で一人で働いてたの、知ってるよな?」
「まあ、な」
「この前手紙が着たんだ」
座り込んでいた場所から立ち上がって、奥山は服についたほこりを払う。
「帰ってくるってさ、この町に」
二歩、校庭に向かって歩く。岩瀬の位置からその表情は見えない。
「帰ってくるのか・・・よかったじゃないか。仕事を見つけるのは大変かもしれないが、あいつはこの町が好きだったからなあ」
「・・・やっぱ、いわやんもそう思う?」
「ああ。暇さえあれば外の景色をみてただろう」
「だよなあ、あいつ、誰がどう見たって、この町を愛してたよ」
奥山は振り返らない。
そのまま二歩、また校庭に踏み出す。
「だからさ、いわやん。校庭に、粉撒いていいかな」
「粉?」
「うん。あ、有害じゃないから。無害もいいとこ、本物の天然素材」
「何の粉だ?」
「あー・・・。うん、粉じゃないかな。ぱっと見は粉みたいだけどさ。・・・灰」
「灰?」
「・・・ん」
胸に、大事に大事に抱えていた小さな箱から、奥山が粉とやらを取り出して、ぱっと校庭に放った。箱の中身がなくなるまで何度か、すくっては投げ、すくっては投げを繰り返す。
黒い上着を着た奥村の背中が小さく震える。
岩瀬は何もいえないまま、ただその光景を見ていた。
畜生。
震えてきやがるのはどうしてだ。

「なんだよ、いわやんも泣いてるんじゃん」

目元を真っ赤にして、無理やりぬぐったらしい涙の跡を隠そうとした奥山は、振り返って泣き笑いの表情を浮かべた。
「じゃあ無理してこらえるんじゃなかったなあ、いわやんに泣き顔みられんのなんかカッコ悪いと思ったんだけど。いわやんも泣いてるならお互い様か」
「ばか者、奥山。一人だけで見送るんじゃない、俺も仲間に入れろ」
知らずあふれていたらしい涙を乱暴にぬぐうと、岩瀬も立ち上がった。
「教え子が自分をおいていくんだ、こんな悲しいことがあるか」
空になった箱をさかさまにしながら、奥山は赤くなった目からまた涙をこぼす。
「馬鹿だよな。最後の手紙、面倒かけてごめん、校庭に撒いてくれたらうれしい、だってさ。ここが一番幸せだった場所だから、だってさ。なあいわやん、あいつ、馬鹿だよな」
震える肩を抱くようにして、奥山が顔を伏せる。
「ああ・・・。馬鹿だな」
自己犠牲が強い人間だったように思う。
いつだって自分を後回しにする性格は、少し改善したほうがいいぞと何度か注意したこともある。
死んだのか。
確かめるまでも泣く、校庭に撒かれた灰で、理解した。
そうか、死んだのか。
「この町が好きだって、言ってた」
しゃがみこんで、地面を見つめながら、奥山が言う。
「生きるうえで執着したものがあいつ、三つしかないんだってさ。命と、俺と、この町。いつも、こんなきれいな場所に自分がいてもいいのだろうかって、そう思ってたってさ」
愛しむように見つめながら。
「馬鹿だよなあ」
誰よりもこの町を愛していたくせに。
自分から遠ざかった。
きれいな場所を汚さないようにと。


奥山が、ポケットから取り出した薄い水色の便箋は、癖のある記憶の中の滝谷の文字そのままに、おびえるような小ささで。
謝罪と、簡潔な事情説明と、願いをしたためて、最後はこう終わっていた。



『俺に執着を覚えさせてくれて、ありがとう』



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