暁を待つ庭/短編保管庫
別ブログにて書き散らした短編まとめ。
激しく気まぐれ更新。
幾千の孤独
初出:2007/8/21
ただグルグルしてるだけの話なのに、なぜだろう、今でもすごく好きです。
ただグルグルしてるだけの話なのに、なぜだろう、今でもすごく好きです。
世界にただ一人きりだと思うことがありませんか。
たとえばざわめきの街角、 ふと立ち止まるコンクリートの道、足音も残らないその道を歩いてきたのは本当に僕でしょうか。人ごみの中でつぶやく名前、自分の耳にすら届かないその声は 本当に紡がれたのでしょうか。一人きりの部屋で綴る物語、自分しか知らぬというのならばそれは存在するのですか。向かい合った虚空の鏡、そこで虚ろに前を 見ている人物は本当にあなたですか、本当に僕ですか。前に伸ばした手のひらを見て、思わず。
疑ってしまうのです。この手は、誰のものだろうかと。
あなたの生きた人生を選び取ってきたのは一体誰ですか。あなた自身だというのならばあなたとは一体なんなのですか。選んだ気になって、選ばされてはいませんか。だとしたらその人生は一体誰のものなのですか。
あなたは誰ですか。
鏡に向かって、零れたように言葉はふらふらと。
手のひらを押し付けた冷たい透明が、徐々に熱を持って手のひらと融合していく。
こ のまま鏡に溶けたとして、自分という有機物はどこへいきますか。鏡の中で生きますか、それとも鏡の中で死にますか。鏡になりきれぬまま、吐き出されてしま うのですか。分からないのです。生きたいという強い意志が無くとも生きることはこれほど容易い世界。けれど本当に生きるなんてことができている人はいるの でしょうか。この肉は、血は、骨は、人形の部品でなくて本当に生き物ですか。
あなたは自分が生きているということをどれほど自信を持って断言できるのでしょう。僕は、ぜひとも自信に溢れた生の宣言を聞きたい、聞きたいと思うことそれ自体が、作られた感情でしかなくとも。
僕は誰ですか。
にらみ合うほど近づいた鏡の向こうで、僕のような顔をした影が泣くのです。僕は、一体、なんなのですか。
鏡 を殴り砕いたとして、その鏡が最初から崩れていなかったと断言できますか。この手から血が流れたとして、その血が果たしてどれほど決定的な生きる証拠とな りえますか。ここで狂って死んだとして、その死が誰にも認められなかったならば自分は生きているのですか。誰もが僕の死を認めたならば、自分は生きている つもりでもそれは死なのでしょうか。
だとしたら存在というものは結局、感覚と他者の判断でしかなく、だとしたら命なんてものは、自分自身が感じることなど永遠にできないものなのかもしれなくて。ああ、ああ。
くりかえし。 あなたは誰ですか。
どんな声をしていますか。
どんな意志を持ち、どんな感情を抱き。
どれほどの孤独を抱えて、生きているのですか。
さて、蝕みだらけのこの思考回路を、空洞の大きさに響かせて闇へ寝かせる。自分は自分、だなんて、昔はよく言えたものです。今はいえない、自分の定義がゆらいでいるから。
この指が紡ぐ物語は、歪で、曲線をだらだらと描き、朧に滲んで。
あるいは、曖昧こそが求めた答えなのでしょうか。それとも、やはり断固とした確実が欲しいのでしょうか。けれどもそれを曖昧か厳密かと判断するのもまた、この歪みと虫食いだらけの思考回路なのです。
結局世界は湾曲して静かに沈んでいく箱庭の船かもしれません。
世界の終わりをやり過ごす為のその箱船は、けれども選ばれた者たちの場所だから。
僕はそこへたどり着くことなく終えるのでしょう。口笛を吹いて一見平坦に、けれども心から絶望して安堵して。
一人きりの人生を歩き続けることに疲れたと、言い訳をたくさん口にしてみっともなく、世界と一緒に無に還る、そんな、夢を。
ずっと、見て、いるのです。
さようなら果て無き孤独よ。
君に会えて僕は不幸で。
君に会えて僕は幸せでした。
たとえばざわめきの街角、 ふと立ち止まるコンクリートの道、足音も残らないその道を歩いてきたのは本当に僕でしょうか。人ごみの中でつぶやく名前、自分の耳にすら届かないその声は 本当に紡がれたのでしょうか。一人きりの部屋で綴る物語、自分しか知らぬというのならばそれは存在するのですか。向かい合った虚空の鏡、そこで虚ろに前を 見ている人物は本当にあなたですか、本当に僕ですか。前に伸ばした手のひらを見て、思わず。
疑ってしまうのです。この手は、誰のものだろうかと。
あなたの生きた人生を選び取ってきたのは一体誰ですか。あなた自身だというのならばあなたとは一体なんなのですか。選んだ気になって、選ばされてはいませんか。だとしたらその人生は一体誰のものなのですか。
あなたは誰ですか。
鏡に向かって、零れたように言葉はふらふらと。
手のひらを押し付けた冷たい透明が、徐々に熱を持って手のひらと融合していく。
こ のまま鏡に溶けたとして、自分という有機物はどこへいきますか。鏡の中で生きますか、それとも鏡の中で死にますか。鏡になりきれぬまま、吐き出されてしま うのですか。分からないのです。生きたいという強い意志が無くとも生きることはこれほど容易い世界。けれど本当に生きるなんてことができている人はいるの でしょうか。この肉は、血は、骨は、人形の部品でなくて本当に生き物ですか。
あなたは自分が生きているということをどれほど自信を持って断言できるのでしょう。僕は、ぜひとも自信に溢れた生の宣言を聞きたい、聞きたいと思うことそれ自体が、作られた感情でしかなくとも。
僕は誰ですか。
にらみ合うほど近づいた鏡の向こうで、僕のような顔をした影が泣くのです。僕は、一体、なんなのですか。
鏡 を殴り砕いたとして、その鏡が最初から崩れていなかったと断言できますか。この手から血が流れたとして、その血が果たしてどれほど決定的な生きる証拠とな りえますか。ここで狂って死んだとして、その死が誰にも認められなかったならば自分は生きているのですか。誰もが僕の死を認めたならば、自分は生きている つもりでもそれは死なのでしょうか。
だとしたら存在というものは結局、感覚と他者の判断でしかなく、だとしたら命なんてものは、自分自身が感じることなど永遠にできないものなのかもしれなくて。ああ、ああ。
くりかえし。 あなたは誰ですか。
どんな声をしていますか。
どんな意志を持ち、どんな感情を抱き。
どれほどの孤独を抱えて、生きているのですか。
さて、蝕みだらけのこの思考回路を、空洞の大きさに響かせて闇へ寝かせる。自分は自分、だなんて、昔はよく言えたものです。今はいえない、自分の定義がゆらいでいるから。
この指が紡ぐ物語は、歪で、曲線をだらだらと描き、朧に滲んで。
あるいは、曖昧こそが求めた答えなのでしょうか。それとも、やはり断固とした確実が欲しいのでしょうか。けれどもそれを曖昧か厳密かと判断するのもまた、この歪みと虫食いだらけの思考回路なのです。
結局世界は湾曲して静かに沈んでいく箱庭の船かもしれません。
世界の終わりをやり過ごす為のその箱船は、けれども選ばれた者たちの場所だから。
僕はそこへたどり着くことなく終えるのでしょう。口笛を吹いて一見平坦に、けれども心から絶望して安堵して。
一人きりの人生を歩き続けることに疲れたと、言い訳をたくさん口にしてみっともなく、世界と一緒に無に還る、そんな、夢を。
ずっと、見て、いるのです。
さようなら果て無き孤独よ。
君に会えて僕は不幸で。
君に会えて僕は幸せでした。
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