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誰がために咲く花

初出:2010/7/25
別サイトで先に公開したもの。気に入っていたのである程度加工して。
彫師と悪党の話。
常盤と申します。ええ、仰々しい名前でございましょう。
なかなか便利なのですよ、この名前を名乗りますと人に覚えていただけますので。
彫 師をしております。ええ、刺青です。やくざ者や火消し、博徒のお客が多いですね。最近は鳶職の方、飛脚の方なんかもよくいらっしゃいます。中には義理堅い 方もいらっしゃって、お客を紹介していただけることもありますので、ぎりぎりではありますが、なんとか彫り物だけで食べています。
・・・聞きたいのは、あの人の話でしたね。
何からお話すべきでしょうか。
ええ、そうですね。私があの悪党と出会ったのは、二年ほど前のことになります。当時私は十七の歳、彫師として独り立ちをしたばかりで、日々の生活がやっとという有様でした。
悪党と言いますのは比喩ではありません。あの人は本当の意味で悪党でした。他人を落としいれ、いいように扱い、そうして壊れてゆく様を見て喜ぶような、そういう純粋な悪党です。そうです、最低の男でした。私も何度そう思ったか知れません。でも、愛していました。
え え、話を戻します。私はそのとき新しくできたという色料の店を冷やかしていましたが、その店はまっとうなお店ではありませんで、そうとは知らずに私は、い ま少しで阿片の粉を売りつけられるところだったのです。そこを、無理やり店から連れ出すようにして助けてくださったのがあの人でした。ええ、勿論今はその 店はございません。お役所が取調べをしまして、ずいぶん前に潰れました。おそらくそれも後ろで糸を引いていたのはあの人でしょうけれど。あの人は私をただ 助けたのではなくて、対価を求めました。十日ほど、私の家に匿ってほしいと要求したのです。
あの人は役者のように整った顔をしていて、すらりとし た体躯の、柳のようにつかみどころのない人でした。着物も帯も下駄の鼻緒さえ真っ黒にしていたので、町中ではたいそう目立ったのです。匿えと言うからには 相応の理由が勿論あったのでしょう、例えば、厄介なものに手を出して追われているとか。
本当のことを言うと、厄介な人に関わってしまったなあと、 そのときはそんなふうにしか思っておりませんでした。何しろ相手は悪党ですからね。けれど、私の家は滝の神社のすぐ横にありますから、ご存知でしょうか、 あの辺りは静かで人通りもそう多くなく、隠れるには最適だったのです。
あの人は十日の逗留を、何をするでもなくだらだらと過ごして、きっかり十日 で出て行きました。意外だったのはずいぶん大人しくしていたことと、それから、私の仕事に興味を持ったらしいことでした。私が図案に起している花の絵など をしげしげと見詰めたり、色を調合しているのに質問を投げたり、彫るところを見たいといったり。何がそれほど興味深かったのは分かりませんが、とにかく すっかりあの人に気に入られてしまったのだと知ったのは、それからしばらくしてもう一度あの人が私の前に現れたときでした。
あの人は私にぽんと金子を投げて、しばらく置いてくれと言いました。今度は追われているのではなくて、単に私の仕事を見たいからだと。
それからです、私とあの人の奇妙な縁が始まったのは。
あ の人は本当の意味で、純粋なまでに、体の芯から悪党でした。人の不幸を無邪気に喜び、四方八方から恨まれて嫌われて畏怖されておりました。けれども彼は不 思議なことに、私に対してはとても子供じみた態度で接してくるので、ほだされてはいけない、心を許してはいけないとは思うものの、流されてしまうことばか りでした。
実際、彼の逗留中は金に困ることがなかったので、私のような貧乏人にはありがたいものもありました。外では気を張り詰めて隙を見せない あの悪党が、私の前では猫のように眠りこける、その落差が少し嬉しかったのもあります。そう、懐かない猫が自分にだけ懐くような感慨深さです。実際にあの 人が他人の家に泊まるなんていうのは私のところだけで、私はあとからそれを知ってますます、あの人に絆されていったのです。
なんと単純なことだろうと笑うでしょうか。いえ、自分でもそう思います。今でも私があの人の特別だったのだろうと、愚かにも信じているのです。
あ の人は私の手が好きでした。職人の手、まめのできた、この手。両手で包むようにこの手を握り、形をなぞり、常盤君の手はすごいねえと無邪気に笑うあの人の ことを、私は抱きしめたいと思いました。相手は悪党です、分かっているのです。何人もを破滅させ、不幸のどん底に叩き落し、それで甘露甘露と笑う、そうい う男です。けれども、仕事がうまくいかずに落ち込んでいるとき、黙って隣に寄り添ってくれたのも、味付けに失敗した料理を、美味しいよと笑って全部食べて くれたのも、お金がなくて買えなかった色料を、何かのついでのように買って投げてよこしてくれたのも、そして刺青を彫る痛みに暴れたお客が私を殴りつけよ うとたとき、代わりに殴られてくれたのも、あの人でした。
私には優しかったのです。なんとも陳腐な表現と思われるかもしれません。使い古された言葉です。けれどもやはり、私にはそれしか表現する言葉が見つかりません。あの人はたしかに悪党ですが、私には優しかったのです。
丁度、一年ほど前の、こんな風に暑い日の夜でした。
い つもはそんなに遅い時間に来ることはなかったのですが、珍しく私がもうそろそろ寝ようかというころにあの人が顔を出して、やけに神妙な顔で刺青を彫って欲 しいと言いました。本当なら、明日にしろと言って追い返すところですが、あの人の珍しい表情を見るとそう無碍にもできません。
大体それまで興味深 く仕事を眺めていたけれど、自分に彫って欲しいと言い出したのはそれがはじめてでした。いつも、こんなに痛そうなことを平気で施すなんて、常盤君は虫も殺 さないような顔をしているというのに面白いなあ等と、そんなことばかり言って笑っているような人でしたから。
どうしたのですか、と私は問いました。何かあったのでしょう、と。けれどもあの人は小さく笑って、君の手で刺青を入れて欲しいと、そう繰り返すばかりでした。
予感がしなかったといわれれば、嘘になります。いいえ、はっきりとそのとき私は、あの人との別れを感じていたのだと思います。多分何かヘマをして、命が危うくなったのでしょう。だからわかりましたと、彫りましょうと、答えたのです。
あ の人は有難うと、彼岸花にしてくれるかと、私に言いました。意外そうな顔をなさいますね。ええ、彼岸花は確かに縁起の悪い花です。死人花、地獄花、幽霊花 と呼ばれる不吉なもので、俺にぴったりだろうとあの人は笑いました。けれどもあの花は、仏教の世界では曼珠沙華、天上の花とも呼ばれるそうです。その相反 する印象を併せ持つところが、確かにあの人にぴったりでした。毒があるくせに、毒を抜けば食べられるところも似ていますね。
あの人の背中は真っ白 でしなやかで、彼岸花の赤はさぞかしその色に映えるだろうと、職人としても腕がなるのを感じました。赤い花は存外、扱いが難しいところがあります。牡丹な ど彫ればあまりに極道じみてしまいますし、鬼百合は人気がりますが、あの黒の斑点が下手をすると見苦しくなってしまいますし、椿は人気がありすぎてどうも やり辛い。私も、あの人の背には彼岸花こそふさわしいと思いました。ですから私は嬉しかったのです。あの人のその背に、あの人に一番ふさわしい花を彫るの が私であることが。
嬉しかったのです。
ご存知でしょうか。刺青とは、皮膚を殺して色をねじ込む力技でもあります。当然、彫るにはかなりの痛みを伴います。あの人も私が彫り物をしている間、ずっと唇をかみしめて痛みをこらえている様子でした。
あ の時の感動をなんと言葉にすればいいのか、私にはわかりません。私はずっと、あのようにあの人の綺麗な肌に、自分の手で印を刻みたかったのです。想いを告 げようとは思いませんでした、何しろあの人は悪党ですから、嘘を平気でつきます。そんな上辺だけの印ではなくて、もっと長く消えない、ずっと残るようなも のを刻みたかったのです。
すべらかな背中に、噛み締めるように、赤を重ねて緑を入れて花を彫る。出来れば魂のその奥深くにまで、刻み込めればいいと願いながら。
こ の手が、あの人の背中に。ああ、私は確かにあの時、あの瞬間、このまま死んでもいいと思いました。あの人の目の前で、いっそ手首を掻っ切ってやろうかとさ え思いました。あれほど赤の似合う男ですから、きっと私の赤にも映えましょう。そんなことを本気で願っていたのです、心の底から。
けれども私はそ うはしませんでした、出来ませんでした。あの人は私の手を何よりも愛していたのです、それだけは自信があります。ですから、そのあの人の前で手首を掻っ切 るなど、これ以上ない裏切り行為になってしまいます。ただただ、私は自分にできる最高の花をそこに刻むことに没頭し、作業をする他にありませんでした。と ころがどうでしょう、私は誰に刺青を入れるときも怖くなどありはしませんでしたのに、その時ばかりは、手が酷く震えるのです。
必死で右の手を抑え、とまれ止まれと思うのに、震えはちっとも止まらず、私は途方にくれました。このままでは、まともな彫り物など出来るはずがありません。どうすればいいのかと、酷く取り乱して焦って。
混乱していた私に、その時、あの人が言ったのです。
前を向いたまま、ねえ常盤君、と私に呼びかけて。小さく震える手のひらを握りしめて、彼岸花は一途花というらしいが、由来を知っているかい、と。
私 は知りませんと答えました。彼岸花が一途花と呼ばれるだなんて聞いたこともありませんでしたから。あの人は博学で、そういう雑学にも、とても秀でていたの です。豊富な話術でもって、そのあたりのお嬢さんたちをたぶらかして、信者のようにして、そうしてたくさんの情報を得ていたそうです。ええ、最低の男でし た。でも、愛していました。
海の向こうではね、彼岸花のように、花と葉が同時に存在することのない花のことを、「花は葉を思い、葉は花を思う」と言うそうだよ。永遠のすれ違いだ、お互いに想い合っているというのに、悲しい話だね。
さして悲しいことでもないような口調で、あの人はそう言いました。そうして、肩越しに私を振り返って、少しだけ困ったような顔をして見せて。



俺にとっては、花は君だ。



信じられないくらいに頼りない声で、そんなことを言いました。あのあの人が、あんな声をだすだなんて、私は信じられない気持ちでその顔をぼんやりと見つめ返し、その言われた意味を探ろうと、必死に瞬きをして。
そ うして意味がすっかりわかるころには、手の震え止まっていました。あの人は私を思うというのです。そして、その思いは永遠にすれ違い、決して通じ合わない と、いうのです。分かっていたはずでした、住む世界が違う二人でしたから、だからこれは、内緒の恋だったはずなのです。ただひっそりと時間の狭間に消えて ゆく、そういう恋だった、はずなのです。
私は歯を食いしばって、刺青を再開しました。
何としてでもそれだけは、完成させなければならな かったのです。これ以上ないほど見事に、今まで誰も見たことがないくらいに美しく、その背に咲かせてあげたかったのです。私の技量ではそれほどのものは難 しかったけれど、それでも、誰よりも美しい花を背負わせたかったのです。私があの人を愛する分だけ咲き誇る、美しい花にしたかったのです。
やがて、朝が明ける前に、花は見事にあの人の背に咲きました。
自分でも改心の出来でした。
あ れ以上の彫り物は、一生かかってももう彫ることができないかもしれません。私のすべての情熱を、あの人の魂に、奥深くに、刻み込んだ花でした。赤く燃える ような細い花弁に、鮮やかな緑の茎をすっと伸ばした花が二輪、からみ合うようにあの人の白い背を彩って、咲き誇っておりました。
終わりましたと声をかけたなら、あの人はゆっくりと鏡に背を向けて、出来を確かめるようにじっくりとそれを見つめ、やがて私に手を伸ばして手を取り、いつものように私の手を大切そうに撫でました。
この世で一番尊いものに触れるような顔をするので、私はまた泣きたくなって困りました。そんな私に、あの人はいつものように、無邪気に、常盤君の手は本当にすごいと告げて。
覚えていてねと、あの人は笑いました。
これが君の彫った花だよ、俺に咲き誇るただひとつの花だよ、忘れないでねと。何度も何度も私にそういいました。俺は君が覚えていてくれるならそれでいいんだと。そうしていつかどこかで俺がひっそりと死んだとき、俺は背中だけは傷がつかないように守るからと。
そ うしたら君はきっと、きっと、見つけておくれよ。哀れな俺の死体に、この花を見つけて、ああ、あれは死んだのだと、稀代の大悪党がこんな風に死んだのだ と、君だけは分かっておくれよ。そして涙の一つも零してくれたら、俺はもうそれ以上のことは望みやしない。君だけが知ってくれれば、それでいいんだよ。
あの人はそう言って、最初で最後、声もあげずに泣きました。手が震えていました。怖かったのだろうと思います。
死ぬのも、もう二度と私に会えないのも、あの人が死んだ後私が一人で泣くのも、全部全部怖かったのでしょう。



最初で最後の口付けは、そんな、あの人の涙の味がしました。



今でも思うのです。あの人はただ、私を切り捨てる為にああいう大芝居をうったのではないかとか、今頃はほかの誰かのところで、私の愚かしさを笑っているのではないかとか。何しろ相手は稀代の大悪党ですから、そうであったとしても私は驚きません。
でも私は、それでもやはり、信じていたいのです。あの日の涙を、私の手を握りしめた温かさを。
信じているのです。愛しているのです。
私にとっても、花はあの人だから。
・・・ あの人は私を強く、強く抱きしめて、さようならと言いました。そして私を残して部屋を去り、それから一年も過ぎようとしていますが、何の音沙汰もなく、風 の噂も耳に入りません。私は呪縛のように最後の言葉にとらわれて、こうして、若い男が死んだとなれば見に行かずにはいられないのです。その背に、赤い花が 咲いていやしないかと、確かめずにはいられなくなってしまったのです。
ええ、分かっています。あなたが尋ねたいのはそういうことでしょう。
確かに先ほど見つかった死体、あの男の背には、赤い花がありました。大輪の、花。
あなたが聞きたいのは、あの花が私の手によるものか、否か、そういうことでしょう。あの悪党が死んだのか、それともそれ以外の誰かなのか、確かにそれは大事なことかもしれません。
け れども私は、そう尋ねられたなら、いいえと答えるでしょう。何の参考にもなりはしません。だってあの人の生死を知るのは私だけなのです。ほかならぬあの人 が私のために用意した特別というのは、そういうことです。あれがあの人でないのなら、私は正直に私の彫り物ではありませんと答えます。けれどもたとえあの 人であったとしても、あの人が最後に言ったように、あの人が死んだと知るのは世界で私だけでいいことですから、やっぱりいいえと答えるでしょう。
お役に立て無くて申し訳ありませんが、そういうことなのです。
私はあの人を、あの人を、どうしようもなく盲目的に、ただ、ただ。
愛しているのです。
だからあの彫り物は、私が彫ったものでがありません。
あれは、あの人ではありません。



私の刻んだ花は、永遠に散らないのです。

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