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雪華

初出:2006/2/20
さよならなんて絶対に言いたくない。

空をすべるように雪の華が咲く、朝を行く。


寒いとは思わなかったけれど、指先はかじかんで感覚が鈍く、おそらく感じないだけで外気は相当冷え込んでいるのだろうと分かる。吐く息が白く、視界を濁した。
ひらひらと散る雪華は、褐色の地面に触れると淡く溶け、うっすらと半透明な幕となって地球に張り付いている。その中を、所在なさげにふらふらと、続いていく足跡を追っていた。
馬鹿みたいに早起きをした朝だった。
夜明けの直後、しらけた視界にその足音は、こっちへおいでというように儚くあったので。つられたのは、まるで条件反射だと、うまく動いてくれない頭で考えた。
黒のダウンコートにも白い華はしがみつこうとする。赤くなった指先はポケットに突っ込んで、細い道の先に目を凝らした。
森へと分け入っていく足跡の頼りない軌道を見るに、この足の主は自殺でもするのではないかと物騒なことを考えた。そうでなければ、きっと夢遊病だ。とにかくまともな人間ではないだろう、こんな朝、こんな道をふらふらと出歩くなど。
しかしそれならば、その足跡を追う自分も、そうとうな変わり者ではないのか?自分で自分にそう問えば、失笑が漏れた。
死体が見たいわけではないし、酔っ払いや夢遊病者と鉢合わせなど確かにご免だ。だから自分がこの足跡を追うのは、足の主がきっとそんなやからではないと予感しているからに過ぎない。正直に言えば、見当くらいはついていた。きっと主は、森の神木のところにいるだろうと。
水の中を行くようだった足音が、次第にさくさくと物質を踏む音へ変化していく。
積もり始めたその白い大地に、消えそうな足跡をただゆっくりとたどった。急がなくても、朝食の時間まではかなりの余裕がある。
緩やかな上り坂を登りきれば、そこに小さな広間があり、ひときわ巨大な大木が森の主のように我が物顔で鎮座している。
そのこげ茶色の幹に寄り添うように、見慣れた黒衣があった。
「ずいぶんと、お早う」
顔見知りの気安さで声をかければ、黒衣の主はほわんとしたいつもの微笑で振り返る。まるでこの無遠慮な追跡者を予知していたかのように。
「ええ、あなたも」
酷く穏やかな切り返しに棘はない。聖職者の証である銀の十字架が、しゃらんと柔らかな音を立てた。その音だけが、唯一自分を邪険にしているように思えたが、気にはならない。
「こんな朝早くから、なにを?」
「いえ、目が覚めたので散歩に」
「この寒い中、そんな薄着で?」
「ああ、そうですね。気がつかなかったな」
緩やかに微笑むその顔は蒼白で、随分長い間ここにいたのだなと予想できる。昨日は大きな葬儀があったばかりで疲れているはずなのに、あまり眠れていないのが目元で分かった。
「・・・ホントは、」
言いかけて、口をつぐんだ。
ホントは何をしていたのか、問い詰めるのは確かに酷だ。
「あなたは、何を?」
先手を打って笑顔が問いかける。
「うん、起きたらふらふらと足あとがあったから。つい追いかけてきた」
「ついですか。・・・もしかして、ご心配をおかけしましたか?」
ふ、と曇る表情に首を振って、黒衣に積もった白い華を静かに払った。はらり、舞い落ちる白は随分な量で、それに気づいていなかったらしい神父は、驚いたように目を見張る。
「・・・あなたも」
きまづそうに目を伏せて、神父はもう一度神木に向き直ると、その幹に頭をゆだねた。
「眠れなかったようですね」
「・・・うん」
いたたまれないのはこっちだって一緒だ。
彼とは逆に、神木に背を預けると空を振り仰いだ。濃い緑のうごめく隙間に、灰色の空が詰め込まれている。
馬鹿みたいに早く起きた朝。
・・・本当は。
一瞬しか眠れずに、空けた朝。
昨日の大きな合同葬儀を、否が応にも思い出す。
神父は、毅然と無表情で聖書を読んだ。心の優しい彼にとって、それがどれだけの苦行であったかは、誰もが知っているはずだ。
村人達がたくさん乗ったというバスが、がけ下に転落したのは一昨日の晩。神父の年老いた母も、そのバスに乗っていたという。
そして。
俺の妹も、そのバスに乗っていたはずだ。
「・・・木が」
生存者無しであると予言した村長の声は震えていた。あんな高い場所からおちて生きている人間がいるものかと。それでも希望をかけて遺体を拾う青年団たちが、一人また一人と凍てついた亡骸を村に抱きかえった。
その中に、神父の母はおらず。
俺の妹も、いなかった。
「木が、ほら、生きているのが分かりますか」
もとより小さな村だ。誰もが顔見知りで、誰もが悲嘆にくれて。
けれども遺体がついたならばまだいい。あきらめもつくだろう。中途半端な希望を抱いたまま、凍える空を睨むしかできない俺たちは、こうして眠れぬままに夜を空けた。
「・・・さらさらと、水を吸う音が聞こえますか」
「・・・うん」
気温は連日低い。
生存は絶望的だ。
だというのに、それでも、希望を持つことほど、悲しいことがあるだろうか。
「こんなに、寒くても」
降り続ける雪は天の献花か。
それとも人を殺める刃か。
「木々は、元気で・・・」
「人は弱いよ」
切り捨てるような言葉を吐きながら、それでも自分だって願っている。
どうか、どうか。
帰ってきて、あの家のドアを開けて。
「弱いからこそ・・・すがるのですよ」
けれども、嫌になるくらいに。
それが絶望的だと、知っている。

「願いを、叶えてと・・・」

祈るというのなら何度でも祈った。
まだ祈り続けている。
今日も捜索は続行されるし、葬儀は開催される。それでも眠れぬ夜を明かした俺たちは、舞い落ちる雪の華に埋もれながら、絶望を願う。
「・・・寒い、なあ」
神木に祈る神父の髪につもった雪を、感覚のない指先で小さく払う。
「どうして、こんなに絶望しているのに・・・」
涙も流れない。
可能性がないことは認めているのに。


「それでも願うんだろうな・・・」


弱いから、と神父は言った。
でも、そうだろうか。
強くたってきっと願うと思う。どんなに不可能に思えても。


絶望ほど切なる祈りなど、他にない。



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